エマワトソン主演『美女と野獣』の紳士的な愛

エマワトソンが『美女と野獣』の主演をしたことは有名な話ですから、今更ここで強調しなければならないニュースとも言えませんが、この映画の展開を見ると、果たして女性はどのような男性にどのように愛されたいのかをはっきりと分かるように描かれているように思えて、ちょっとブログに書いてみたいと思いました。

エマワトソンは読書が好きな田舎町の娘さんです。本を通じて世界の広さを知ることに深い喜びを得ている女性です。彼女を狙う優男は、一見確かに立派な風貌に見えるのですが、残念ながら気質というか矜持というか、そういうものを持ち合わせているわけではなく、エマワトソンを自分の嫁さんにするためにいろいろな悪知恵を働かせたりします。もう一人、エマワトソンから愛されることを切実に願う城主がいます。美しいものだけを愛するという偏愛が過ぎたために呪いがかけられ、自分はみにくい野獣に変身させられ、かしづいていた召使いたちはろうそくの燭台や食器、クローゼットなどの家具に姿を変えられてしまいます。時間切れになると元の人間には戻れなくなるという、けっこうえげつないというか残酷な時間とのレースを強いられる運命です。

諸事情があって(諸事情は割愛)、エマワトソンがお城で暮らすようになり、野獣の城主が実はきちんとした躾と教養を身に着けていることを知り、二人の関係は急速に近づいていきます。お城の食器や燭台たちも真剣な面持ちで二人が結ばれるよう祈ります。なぜなら、城主と召使たちにかけられた呪いは、城主が真実に愛された時だけ解かれることになっており、時間切れは刻刻と迫っており、エマワトソンに嫌われてしまったら、もうあきらめるしかありません。彼らは懸命に彼女を楽しませ、喜ばせ、二人が愛し合う関係になれるよう努力しますが、そこに悲報が届きます。エマワトソンにとってかけがえのない存在である父親が優男に拉致られてしまったというのです。愛する父親を救うために彼女は城を出なくてはいけません。城主=野獣は、さあ、行きなさいと彼女が馬に城を離れることを赦します。

この寛容さ、この寛大さ、もしかすると帰ってこないのではないかという葛藤、それでも彼女の意思を尊重するという紳士ぶりに私は感動し、私もかくありたいとつくづくと思ったのでした。男も女もそうですが、どうしても好きな人のことは引き止めたいと思うものです。そこをぐっとこらえ、帰って来ないのなら、それが彼女の意思だとすれば、それはそれでしかたがないとふんぎりをつける男前ぶりを見ならいたいです。

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