とある情報機関の発行していた機関紙を今、順番に読んでいるところですが、回を追うごとになんとなくページ数が少なくなっており、しかも広告も入るようになり、更には独自情報もだんだん少なくなって、官僚なり学者なりにいろいろ書かせているので、予算的に厳しくなってきたのだろうと想像しているわけですが、昭和14年の段階でこれですから、これはアメリカとの戦争は、そりゃあ、無理ってもんですぜとつくづく思わざるを得ません。
で、それらの広告の中で、ちょっとおもしろい広告がありました。新興キネマという映画会社が作った『亜細亜の娘』という映画の広告が入っています。で、推奨が陸軍省と海軍省となっており、それだけでもちょっと仰々しい感じがありますが、更に賛助として陸軍省、海軍省、外務省、更には中華民国維新政府が賛助に入っています。中華民国維新政府とは上海を中心としたエリアに行政権を持っていた日本の傀儡政権なのですが、ほどなく汪兆銘の中華民国臨時政府に吸収される短命の政権です。まあ、ちょっとおもしろいというか、興味深いのは、その政権が賛助していた(要するに金を出していた)というところで、全力を挙げて作成された宣伝映画、プロパガンダ映画だということが分かる点です。
その宣伝文句は次のように書かれています。戦争は断固!勝たねばならぬ!!敗戦国は惨めである!戦塵立込める現地に未曾有の大規模なロケーションを敢行し、支那軍陣地を背景に描かれた国境を超越した人間愛と祖国愛を血潮で綴る事変哀話である。
とのこです。果たして内容がどういうものなのか、以上のような情報からなんとなく想像するしかありませんが、中国人の若い女性が敗戦国民であるがゆえにえらい苦労をしたという筋立てではなかろうかと勝手に推測します。監督が田中重雄という人で、戦後もいろいろ作品をとった人みたいなのですが、あんまり真面目な映画を作った感じの人ではなかったようです。原作が林房雄で、林房雄は当初はプロレタリアート文学から出発した人ですが、その後は保守に転向し、なんとなくあっちへふらふらこっちへふらふらな感じの印象の人なのですが、『亜細亜の娘』を書いた時期はプロレタリアートから転向した後ですので、悪い言い方をすれば権力に対する御用作家みたいになってしまっていた時期のものです。御用が全て悪いとも言い切れませんし、映画を見たら実は意外と面白かったという可能性もなくもないですが、機会があれば一度見てみたいです。京橋のフィルムアーカイブとかに頼めば見せてもらえるものでしょうかねえ…。
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