昭和史27‐五族自由平等

とある情報機関の機関紙を追いかけている中で、昭和13年7月1日付の号でちょっと興味深いものを見つけました。盧溝橋事件から1年、即ち現代風に言えば日中戦争が始まって一年経っているわけですが、日本軍の占領地に対し、台湾総督府からも宣伝慰撫のための工作班を送り現地の住民に対して宣伝活動をしてたり、治安維持活動をしたりして「皇軍」に協力したという内容のことが書かれてありました。

で、果たして何をしたのかはちょっと曖昧で分からないのですが、以下のような旗を作ったというようなことを書いてあります。それは厦門治安維持会旗章というもので、縦長の旗になっており、上の方には黄色の上に太極旗が描かれ、下には「五族自由平等」と書かれてあります。五族とはたしか、日本人、漢人、朝鮮人、満州人、モンゴル人ではなかったかと記憶しています(満州国の国旗がその五つの民族を示すものになっていたため)。

さて、果たして気になるのは果たしてそれがどこまで功を奏したかということです。漢人は血族単位での結束を最も重視するため、はっきり言えば、五族がどうした、平等かどうかなどということはあまり気にしません。親孝行、祖先崇拝を非常に重視するため、かなりはっきり言ってしまえば、それ以外の血縁のない人に対して、ほとんど無関心なところがあり、諸民族平等は確かに理想ではありますが、そもそも彼らはそういうことに関心はありません。尚のこと、残念ながら当時の日本帝国はわざわざ必要もないのに彼らの生活圏に乗り込んできているわけですから、歓迎されるわけもなく、歓迎されざる客が五族自由平等を唱えたところで笛吹けども踊らずといったところにならざるを得なかったのではないか、或いは表面的には協力的でも実際は全く関心を持たなかったのではないかと想像します。無根拠な想像ではなくて、儒教圏を知っている人ならば、通常、そう至らざるを得ないと言えるくらいの常識の範疇と言ってもいいかも知れません。

当該の号によると、昭和13年7月1日から15日まで台北市公会堂で「支那事変博覧会」なるものを開催するとの広告が載っていましたので、また近いうちにその資料にも出会えるかも知れません。その場合はまたこのブログで紹介したいと思います。

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