昭和史19‐蒋介石軍による台湾空爆

資料を読み進めていくうちにわかったのですが、昭和13年2月ごろ、蒋介石軍による空爆が台湾で行われたようです。手元の資料によると(昭和13年3月11日付)、松山地区と新竹地区に空爆があったと書かれています。2月23日、松山地区で行われた空爆では「若干の」死傷者が出たが、救護要員などが手早く動いたため、被害を最小限にとどめることができたとしています。また、新竹で行われた空爆では、死傷者はなかったものの、民家に4発の爆弾が投下され水牛一頭が爆死したとされています。当該民家の人へのインタビュー記事が載っており、家はあちこちだめになったし、水牛も死んだが自宅の神棚には砂もかからず、家族にも被害が出なくてよかったという趣旨のことが書かれています。

一見、蒋介石軍との戦いでは日本軍が勝利に次ぐ勝利を得ていたように見えますが、実は私が想像していた以上の実力を持っていたのではないか、国民党の戦力について認識を変えなくてはいけないのではないかと感じます。重慶あたりから飛んできて日本の哨戒ラインを潜り抜け、台湾に空爆したのですから、爆撃機と護衛機が編隊を組んで飛んできていることも併せて考えると、その航続力は相当なものがあったと考えるしかありません。また、十分に訓練されていなければ哨戒ラインの突破もあり得ず、その後、生還したかどうかは分かりませんが、生還したとすれば、往復しているわけですからやはりかなりの航続距離を誇っていたと考えなくてはいけません。

このような大型の(燃料をたくさん積まないといけないので、大型にならざるを得ないはず)軍用機をどうやって手に入れたかと言えば、ビルマあたりを通る援蒋ルートで英米から提供されたのだろうという推測はできますから、日本軍がビルマ、インドの制圧を悲願にしていたことも頷けなくはありません。さっさとやってしまえばいいものを、太平洋戦争後半のへろへろの状態になってやっとこさインパール作戦を始めてあまりにも大きな失敗をしてしまったわけですが、私としてはどうしてそこまで蒋介石と戦争をしたかったのかそこがなかなか理解できません。蒋介石と戦争をして日本が得することはなかったように思います。尾崎穂積がその方向に誘導したからでしょうか…?

手元の資料では、3月10日が日本が日露戦争の奉天会戦で勝利した陸軍記念日ということで特集が組まれていますが、台湾軍司令部という名前で「(中国との)長期戦を覚悟して」「天皇陛下万歳を唱えて」などの威勢のいいことが書かれています。そのほか、当該の資料ではとある台湾人の男性が報国のために「銃後に於ける奉公の一として皇民化運動に東奔西走し寸時を利用しては同志と語り社会教化劇団を組織して三月には盛大に開演し其の収入を国防献金すべく計画し、次のプログラムを決定開演する運びとなってゐるのである 一、国民精神動員の一日 二、出征軍属の母 三、民風作興の老人 四、迷信打破 五、村の悪習解除」と書かれてあります。国が戦費を調達するのに必死で、献金募集を大いに働きかけていたことがまず分かりますが、このようなプロパガンダ劇団が組織されて公然とそれが行われていたというのはなかなか鬼気迫るものを感じます。大変残念なことではあるのですが、アメリカと戦争をする前に、ある種の集団ヒステリーになっていたのではないかという気がしてなりません。躁状態になっていてやめるにやめられなかった、国が滅亡するまで止まらなかったという気がしてしまいます。

昭和史18‐南方電波戦
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昭和史16‐仏領インドシナの華僑
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昭和史14‐日中戦争と台湾原住民

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