最近、いろいろな資料を探していて見つけたのですが、昭和14年2月6日付で、台湾総督府臨時情報部が「南洋華僑分布図」というものを作成し、陸軍省に送っていたことが分かりました。
台湾総督府臨時情報部は台湾内での宣伝活動(国威発揚、戦意高揚)を主たる任務としていたのではないかと当初、考えていたのですが、このような書類が出てきたということは、東南アジア方面の事情の調査も担当していたということが分かります。ではなぜ、南洋華僑分布図なるものを作らなくてはいけなかったのかということを推理してみたいのですが、当時は日中戦争の真っ最中です。南京攻略戦は終わっていますが、日本軍は重慶政府を攻めあぐねるという決着の付かない状態になっていました。
重慶政府が強靭に持ちこたえていた理由はビルマ・ミャンマー方面から欧米の物資が運び込まれていたことが大きく、日本軍としてはその方面を叩きたい、または占領したいと考えていたに違いありません。ミャンマーへ行くにはマレー半島を通らなくてはいけません。マレー半島は英領ですから、イギリスとの戦争も覚悟しなくてはいけません。イギリスと戦争するということはアメリカとの戦争も覚悟しなければならない、当局者はそう考えたに違いありません。ということは、もうあっちもこっちも全面戦争ということになります。同じやるならパレンバン油田のあるオランダ領インドネシアも抑えてしまいたい。そうするとシーレーンの米領フィリピンも抑えなくてはならないという壮大な、誇大妄想的な計画を練らざるを得なくなっていたというわけです。まさしく南進論そのものと言えます。
で、東南アジアを占領したとして、最も心配なのは大勢いる華僑のことだったに違いありません。重慶政府を支持する華僑がゲリラ化して抵抗することを陸軍は最も恐れたのではないかと思えます。正規軍はゲリラ戦を挑まれると弱いということは歴史が証明しています。そのために、東南アジアでの戦争を想定する材料の一つとして「南洋華僑分布図」が作成されたと言えると思います。
だとすれば、日本の当局者はそれなりに早い段階から、対英米戦争を準備していたということになり、アメリカの経済制裁でやむを得ず戦争をしたという構図は成立しないことになります。自分でこういう資料を見つけて私はちょっと身震いしてしまいました。