昭和史12‐日中戦争とオランダ領インドネシア

日本帝国時代、とある情報機関が発行した機関紙の昭和13年1月11日付の号では、オランダ領インドネシアでの情勢が伝えられています。曰く、オランダ領インドネシアは格別に成功した植民地で多様な生産物が産出される一方で、在住日本人が極めて少なく、その反対に在住中国人が非常に多いが、オランダ当局が中国人による排日運動に目を光らせているため、そんなに酷いことにはなっていないと簡単に言うと述べています。どうも当該情報機関は各地に調査員を派遣して現地の模様を報告させているようなのですが、以上のような状況はイギリス領マレー半島と同じ構図かも知れません。

とはいえ、今回読んだ報告では現地のメディアの状況も伝えられており、その面はなかなか興味深いのではないかと思います。曰く、現地のメディアは非常に親中的であり、日本軍の蛮行を誇大に喧伝しているというのです。在住日本人は隠忍自重しつつ、東京、台北、大連あたりから放送されてくる「正しい」情報をラジオで聴いて知っているため、日本軍優勢を理解しており、現地メディアの意地悪な報道に対してやはり「隠忍自重」しているというわけです。

一方で、当該の報告書では「唯一の邦字新聞東印度日報が四項の小新聞ながら事変に関する限り大体網羅し以て戦況を正確に伝へて居る」と同時に「スマラン市で邦人の発行している馬来語月刊雑誌『アストラ』が宣伝機関として微力ながら」がんばっていると述べています。

ハワイやロスアンゼルスあたりでは、日系人を使ったスパイ網の構築をしようとしていたという話を読んだことがありますが(なので、ちょっと語弊を恐れずに言うと、当時のアメリカ当局による日系人収容所送りは半分は人種差別、半分は現実の防諜目的と言えるのではないかとも思えます)、東南アジアでも同様の諜報・情報ネットワークを築こうとしていたのかも知れません。ただ、私がこれまでに読んだ限りでは、宣伝にはわりと熱心、植民地での神社の増設のようなちょっと的外れなことも含んでかなり熱心なのですが、一方では諜報は必ずしもがんばれていなかったように思いますので、結果としては大した効果は生まなかったのではないかという気もしなくもありません。

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