昭和史11‐植民地の神社

日本帝国時代、植民地の各地で神社が作られたことは、ここで述べるまでもなく広く知られた事実と思います。昭和13年1月1日付のとある情報機関が発行した機関紙によると台湾で造営された神社は明治期に8社、大正期に13社、昭和に入ってから22社造営されたと記されています。時代を追うごとに造営の速度が速くなっていることが分かります。欧米諸国にとってキリスト教の普及が世界の植民地化に不可欠な要素であったように、日本帝国としても宗教という力を借りて、いわゆる皇民化をはかっていたことが分かります。もっとも、皇民化が実際に速度を上げていくのは日中戦争が始まった後のことであり、植民地の人々にたとえば台湾神社への参拝を奨励したように、昭和13年以降こそがいよいよ本番という感がないわけでもありません。ただ、私の読んでいる資料によると満州事変以降、加速しており、やはり当時の帝国がかなり焦っていた、世界的孤立に対してある意味ではどうしていいかわからなくなってしまい、とりあえず手近なところをなんとか強く取り込もうとしていたことを感じ取ることもできます。

今後の予定として、皇紀2600年(昭和15年)に合わせて98社まで増やす計画がなされているとも書かれてあり、実に急ピッチ、神様の分け御霊を大量に輸入しようとしていたことが分かります。個人的には神社は好きですので、揶揄するようなことは書きたくないのですが、神社や神道はいわゆる日本民族の物語になるため、私は日本人ですからありがたみを感じますが、植民地の人たちにありがたがれと言うのはちょっと無理がある気がしてなりません。然しながら、総督府としては1庄1社(1つの村に1つの神社)を目指していたらしく、これはなかなかの難事業であったに違いありません。「所謂皇民化を完成させなければならぬ」とも述べられており、なかなかにやる気まんまんであることが伝わってきます。

更に、台湾総督府情報課が戦意高揚、国威発揚を目的として映画の巡回上映をしていたことも分かりました。資料によると第12回上映として『君が代』『大空の脅威』『東日大毎国際ニュース』が上映されたことが報告されており、第13回上映として『支那事変』『戦友』『ニャー坊奮闘』という題名の映画が台湾各地で巡回して上映されたことが報告されています。果たしてどういう内容の映画なのかは想像するしかないですが、もちろん、国威発揚的な内容であろうことは想像に難くありません。

今、資料を順番に読んでいて、昭和17年までの資料があるため、これからどんどん過激になっていくのだろうかと考えるとちょっと怖い気がしなくもありません。
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