昭和史6‐血染の日章旗

日本帝国時代にとある情報機関が発行していた機関紙の10月11日付の号に、戦時ゆえの「美談」が紹介されています。さすがは情報機関、情に訴えるところを押さえているとみるべきかも知れません。で、どのような美談が紹介されているのかというと、台湾の小学三年生の男の子が兵隊さんとして戦地へ行った友達のお父さんのために「血染」の日章旗を作ったというのです。現代人の感覚から言えば、ちょっと壮絶すぎるようにも思うのですが、当時はとにかく蒋介石に勝つことを一念にしていたわけですから、これくらいの覚悟で臨めと言いたかったのかも知れません。

小学三年生の男の子からその兵隊さんに届けられた手紙には「僕達三人は僕達の血で日章旗を作りました。敵陣を占領されましたら、この日章旗を立ててください」というのです。ちょっとやりすぎでは…とも思うのですが、血染の日章旗の美談がもう一つ掲載されています。

台湾の廖氏泉妹という人と、同じく廖氏銀妹という人が連盟で慰問の手紙を戦地の兵隊さんに送っています。その手紙には「私の血で染めた日の丸を一枚お送り致します」と書かれてあります。もし私が戦地の兵隊さんで、植民地の少女の血がしみ込んだ日の丸を受け取ったらどんな気分になるだろうかと想像してみましたが、ちょっと想像を超えています。もちろん、その血の旗に萌えることはないとも言い切れませんが、萌える前に萎えるのではないかという気がしなくもありません。

私個人は昭和10年代は日本総躁状態ではなかったかと想像していますので、こういうことも起きてしまうものなのかも知れません。

ちなみの今回の号では、冒頭で戦費調達のために植民地で新たに税金をかけるという話題が書かれており、昭和12年の段階で日本の財政はなかなかに厳しい状態に追い込まれていたことが分かります。植民地の熟練工不足にも悩んでいる様子を伺うことができ、日本は総力戦に入る準備を十分に整えていないまま総力戦へと向かっていったことが分かります。私の祖父も戦死していますので、日本が無理な戦争に突っ走ったことはなんとも残念。当時の記録なり資料を読むと本当にがっかりしてしまいます。

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