日本帝国のとある情報機関の発行した機関紙を順番に読み込んでいるところなのですが、当該機関紙の昭和12年10月1日付の号で、通州事件と邦人の引き揚げについて述べられています。通州事件は最近は知っている人も多いと思いますが、北京郊外の通州というところで日本人数百名が現地警察組織により相当に残虐な手法で見つけ次第殺されたという事件で、当時は戦慄をもって受け止められました。
当該の文章では、そのような事件が起きた背景として、中国人の排外主義、特に日本人を敵対視する反日教育が大きく影響していると論考しています。それが真実に正しい見方なのかどうかはそれぞれの人の判断に任せるとして、通州事件というちょっと信じられない、受け入れがたい事件が起きたことそのものは事実だということは争いがありませんし、反日教育が行われていたことも、嘘ではなかろうと思います。『ラスト・コーション』という映画がありましたが、あの映画の主人公たちは愛国主義を正義と信じ、それをテロリズム的な手段で実現しようとした若者たちです。1900年の義和団の事件も排外主義的思想がその根本にあったことを思えば、反日は中国人にとって建国の物語と言われることも、その是非はともかく全く了し得ないものとも言えません。
当該の文章では、通州事件以後、大急ぎで帰国する日本人たちが大勢いたことも述べられており、なにしろ通州事件を起こしたのが現地警察だという事実を思えば、現地警察の保護を信頼して帰るわけにもいかず、精神的には相当に緊張した状態での引き揚げが行われたことを述べています。
私はこの情報機関の発行した雑誌を読むことで、当時の関係者が何を思い、何をやろうとしていたのかを知りたいと思っているのですが、ざっくりと彼らはその後、情報統制、プロパガンダ、植民地での皇民化への道をひた走ることになることは分かっています。具体的なことはこれから読み進めていくことでよりよく分かっていくものと考えています。今回の号ではそこまで踏み込んでいるのではなく、通州事件と当時実際に進行中だった上海事変にかかわる邦人保護に関する報告と情勢分析という感じのものでした。
その後、彼らがどのように動いていくか、中央政治とどう絡むのか、などなど読み進め、ここで報告したいと思います。
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