昭和史2-国民総動員と植民地

近衛文麿内閣が国民総動員法を成立させたのは昭和13年のことですが、とある公的機関の発行した機関紙の9月21日付発行の号では、既に「国民総動員精神」と言う言葉が出てきます。日中戦争が本格化していた時期であり、戦費の調達にも当局者が頭を抱え始めていた時期でもあるわけですが、この機関紙では、銃後の国民の心構えのようなものを説いています。曰く

国民精神の興廃が一国の盛衰に如何に重大な影響を及ぼすかは、欧州大戦に於ける思想宣伝戦に於てドイツがロシヤ国内に革命を起こさせて遂に帝政ロシヤを瓦解に導き、又連合国が其の宣伝に依り経済的圧迫とも相まってドイツを内部から崩壊せしめた実例に徴しても明らかである。

として、国民精神の一致団結の必要を訴えています。多少、陰謀論の影響を受けている気がしないわけでもないですが、当時は参戦国はなんでもありで諜報工作もさんざんやっていたでしょうから、全く事実無根というわけでもないかも知れません。当該の文章では植民地についても触れており「皇民化の徹底」も訴えています。なんとなく、必死さというか悲壮が漂うというか、日中戦争でこれだけ必死なわけですから、さらに後に太平洋戦争にのめりこんでいった歴史は相当な無理ゲーだったと残念ながら認めざるを得ないかも知れません。

軍事扶助法にも触れており、これは応召した兵士に残された家族の面倒をしっかり見るという趣旨のもので、大正6年に作られた法律のようなのですが、台湾ではそれがなされていないことを嘆いている部分もあり、植民地を含んだ国家総動員が整備されつつある様子、或いは整備しようとしていた様子を見て取ることができます。

更に当該の文書では、資源の有効活用と機密の保護に注意を喚起しており、昔、NHKのドキュメンタリーで見たような、鉄類は子供のおもちゃからお寺の鐘まで、機密保護については治安維持法まで駆使するようにと関係者を叱咤しており、なかなか緊迫感がある内容になっています。もし空襲に見舞われるような事態になった場合、関東大震災では「流言飛語」によって「周章狼狽、被害を拡大したのは明瞭なる事実」であるから、空襲になった場合も冷静沈着でなければならないとも述べており、果たしてそれが関東大震災直後に起きた朝鮮人殺戮を意味するのかどうかに関心が向いてしまいますが、それについてはそれ以上書いてないのでわかりません。空襲を想定しているところが興味深いとも思えます。蒋介石の軍が日本を空襲することはほとんど考えられませんでしたから、やはりアメリカとの戦争を昭和12年の段階で予想・予期していたのではないか、それとも太平洋戦争はいわゆる予想の自己実現的なものだったのかと首を傾げ、考えさせられてしまいます。

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