昭和史1-排日運動の歴史

とある公的機関刊行物の昭和12年9月15日付の号では、当時の日中関係に関する当局者の見方が述べられており、当時、日本の当局者がどのように日中関係を理解していたかということを知る上で興味深いものになっています。

当該の文章では、縷々、平和と正義を重んじる日本軍に対し、中国サイドで排外主義が盛り上がり日本だけでなくフランスなど欧米諸国に対しても排外主義を発揮し、その製品を奪ったり、破壊したりしていたことを述べているとともに、日本人殺害事件が幾たびとなく頻発し、さらには日本軍に対する挑発行動も目立つため、やむを得ず関東軍が展開エリアを広げ、満州事変、熱河作戦を行ったのだ、盧溝橋事件もまたしかりである。というような趣旨のことが述べられて、そのような中国に於ける排日運動は40年もの歴史を持つのだとも述べ、はっきり言えばかなり憤っています。昭和12年9月のことですから、既に上海事変は始まっており、南京攻略戦にはまだ至っていない。そういう時期に当たります。

当該の文章では、それらの諸事件が起きた背景にはコミンテルンの動きがあると指摘しており、当該文章の結びでは

満州事変以降の数々の排日抗日事件は、総て蒋介石が自己の政権を維持し支那(ママ)の統一を促進せんが為めに支那国民に排日抗日思想を徹底せしめた結果現はれたものであって、それにロシア共産党の指令に基く支那共産党の魔の手も加はって抗日運動は益々熾烈無軌道となったのである

と述べ、問題は中国ではなく、むしろその背後にあるコミンテルンだと指摘しています。その続きではコミンテルンは一旦は蒋介石に中国支配をさせておいて、内側から赤化運動を行い、中国全体を共産主義にすることが狙いになっているので、注意せよ。というむすびになっているわけです。

この刊行物に書いてあることがどこまで信用できるのか、そもそもが書き手のバイアスがかかってはいないのか、それとも反共の著者が強引にコミンテルンを結び付けているだけなのか、私には判断のしようがありません。ただ、当局者がどういう認識を持っていたかということを知るという点で興味深いことのように思えます。



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