縄文時代、一般にはまだ米作は行われていなかったと考えられている一方、定住が進み、少なくとも畑作が行われていたことはまず間違いないと考えられています。想像するしかないですが、男は狩猟に出かけ、女性は畑作をしていたかも知れません。縄文時代と言えば、なんとなくとてつもない原始時代、旧石器時代みたいなものを連想してしまいそうになりますが、そのようなことは決してなく、洞窟に住んでいたわけではなくて竪穴式住居で暮らしており、動物の毛皮を身にまとっていたわけではなく、繊維によって編まれた服を着ていたこともまず間違いないものと考えられています。たとえば遮光器土偶のようなものを見ると、人形の表面に編まれた繊維を表現していると思われる筋や文様が入っていますから、そのことだけから見ても、繊維の衣類が既に存在していたことはまず間違いないのではないかと思います。
一般に縄文時代は身分格差がなかったと言われています。米作が行われなかったために富の蓄積(お米は保存ができますし、米作のためには当然に土地の確保が前提となり、より広い土地を持つものが、より富む)ができなかったことから、格差のなかった社会であるとする考えも根強くあるように思います。しかし、犬でもボス犬、アルファ雄がいるわけですから、縄文時代の人に格差がなかったと結論するのは或いは早計ではないかという気がしなくもありません。縄文時代は既に複数の家族が集団で暮らす集落があったことは三内丸山遺跡からも明らかで、そこには指導者がいたに違いありません。副葬品の違いから、格差の存在を類推できるとする説を読んだこともあります。
ただ、いわゆる絶対王政みたいなものがあったり、或いは巨大な資本家がいて労働者を搾取していたかとかいう話になれば、確かにそういうことはなかったかも知れません。しかし、アニミズム信仰があったことは議論が一致していると思いますから、そのような宗教的指導者、精神的指導者は存在したのではないかという気がします。縄文人の頭脳と現代人の頭脳にはほとんど違いはないと思いますから、彼らは当然にこの世には四季があり、四季に合わせて食物が育ち、文字はなくとも「一年」という概念が存在し、世界は循環しているということに気づいていたに違いありません。文字情報が残っていないのが残念なところではありますが、一万年も続いた中で、口伝により神話が作られ、神話と自然が融合した形でアニミズムが形成されたのではないかという気がします。縄文のヴィーナスと呼ばれる人形が発掘されたりしているように、縄文人の美的センスは見るものを圧倒するものがあり、岡本太郎さんが日本人は縄文時代の芸術にそのルーツを知るべきだと主張したのも私にはわかる気がするのです。縄文時代の火炎式土器に見られる製作者の情熱の発露のようなものを無視することはできません。炎を形にして保存するわけですから、そこに精神の動きというものを感じないわけにはいきません。
星の動きもよく読んでいたに相違ありません。空気はきれいで街灯もないわけですから、星はくっきりとよく見えたはずです。そして毎日、北極星を中心に夜空が回転していること、季節ごとに見える星が違うことは当然気づいていたはずですし、夜空を見るための専門職みたいなな人もいて、それが占術と結びつき人々にとっての精神的指導者がいたのではないか、星の動きは地上の四季と連動していることは見ていればわかるはずですから、世界ある種の和音の複合によって構成されていると考えたとしても全く不思議はなく、そう考えなかったとするほうがむしろ不思議なようにすら思えます。
縄文時代は遺跡から類推するしかなく、文字情報がなかったことは大変にもったいないことですが、それでも、むしろそれだからこそ、縄文時代には深い精神性に基づく文化が存在したのではないかと想像することは大変に興味深い試みであるようにも思えます。当時の人も人は死ぬという絶対的な事実を前にたじろいだに違いなく、死体が土にかえっていくという不思議は、自然と人がつながっていることの証明として理解されたのではないかとも思います。当時の歌の一つも現代に伝わっていれば、縄文人の精神世界がよりよくわかるはずですが、残念ながらそれらしいものがあるというのは聞いたことがありません。もしかするとアイヌ人々の歌に残っているかも知れませんが、アイヌの言葉にも大和の影響がみられるようですから、そこから類推・再現するのも難しいことかも知れません。
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