台湾近現代史30‐田中絹代と鈴木傳明と宮崎直介

台湾の映画愛好家のための雑誌『映画生活』昭和7年6月17日付発行の号に宮崎直介という人物が寄稿しています。宮崎氏の原稿によると、台湾シネリーグの会員でもないし、会費も払っていないにもかかわらず、東京の自分のところに会報が送られてくるし、原稿まで書いてくれと言われ、実際的な会員扱いになって心苦しいというような趣旨のことが書き出しになっています。

結構、手慣れた文章である上に、文末では「いづれ台北に帰りますから、その時はまた改めてリーグの皆さんのお仲間に入れて頂きたいと思いますので、それを楽しみにしていゐます」とされています。どうやら、この宮崎直介氏は相当に台湾と縁が深いらしいのでちょっと検索してみたところ、台湾の鉄道を題材にしたと思しき『坑道』という短編小説を書いた人物のようです。『「台湾鉄道」作品集1』(緑陰書房 2007)所収という情報を得ましたので、関心のある方はそちらを読んでみるといいかも知れません。台湾の日本人小説家と言えば、西川満が一番知られていますが、宮崎直介という人も同じような感じの人なのかも知れません。私も機会を見つけてもう少し詳しく調べてみたいと思います。

さて、この宮崎氏は東京で暮らしながら、業界人と交際があったらしく、田中絹代と鈴木傳明(この鈴木傳明という人は映画俳優で、あちこちの映画会社をわたり歩いた人物。昭和14年にハリウッド出演話が持ち上がり、渡米するものの、紹介してくれる人が急逝してしまい、頓挫するものの昭和16年まで滞在。その後はあんまり映画の方での活躍はなく、実業家として後半生を生きた人だったようです)と思しき人物のエピソードが書かれています。田中絹代が初めてトーキー映画に出演して、周囲が大変心配したということが書かれています。田中絹代の初トーキー出演作は検索してみたところ『マダムと女房』という松竹映画らしいのですが、宮崎氏の原稿によると、田中絹代は「冷蔵庫」を「レイロウコ」と言ってしまうので、関係者が心配したというもので、活舌が悪いくらいのことでこんな風に言うのはいかながなものかと私は思うのですが、これは言わば、ちょっとした自慢話、台湾の仲間のための土産話のような感じで扱われています。俺はこんなことも知ってるんだぜ感があって、ちょっと好感は持ちにくいですが、続いて傳明に書けと何年も頼まれていた話を書くとして、旅芸人に激励のための拍手を送ったエピソードが書かれています。これは、売れない旅芸人であっても、その心情を思えば拍手くらいしてあげなくてはいけないという話で、この部分はなかなかにハートウオーミングと言えるかも知れません。

同じ号では、編集後記みたいなところで匿名の原稿なため、誰が書いたかはわからないのですが「台湾シネリーグは高級ファン層の集まる場だから、逆宣伝を受けている。そんなのに負けるな」みたいなことが書いてありました。以前、このブログで台湾シネリーグに対する逆宣伝について述べられているページを紹介し、果たしてそれがなんなのか…みたいな感じになっていましたが、どうも単なる感情論のようです。田中絹代をけなす内容といい、「逆宣伝」に頭に来ている様子といい、こつこつ読んでいるうちに、世知辛い印象が湧いてきてしまいます。

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