台湾近現代史‐29 トーキーとサイレントと既得権

日本統治時代の台湾で、映画愛好家たちのためのサークルとして結成された台湾シネリーグ発行の『映画生活』昭和7年6月17日付に、トーキー映画とサイレント映画及び映画業界のせめぎあいについてちょっと興味深いものがありましたので、紹介してみたいと思います。

書き手は「TN生」ということで、果たしてそれが誰のことなのか、台湾人なのか、それとも日本人なのかということは全く分かりませんが、彼が書いた興味深い部分を少し長いですが以下に引用します。

 「パリの屋根の下」「最後の中隊」のトオキイ映画封切によって、それ迄時代の趨勢に無関心且トオキイ上映促進交渉に対して全く不親切であった映画当事者達が、俄然トオキイ上映に狼狽し出したのは愉快且喜ぶべき現象であった。トオキイ装置を持たぬ常設館が没落の悲運に遭うことは丁度封建主義経済組織下に於ける手工業者が資本主義経済組織下に於ける大工業機械工業の勃発によって起った衰退と全く同じである。外国映画は勿論のこと日本映画もトオキイへ乗り出す時、世をあげてトオキイ時代に入ってゐる時、時代の動きに逆行しつつある事はそれ自身自殺を意味するに他ならない。
 当地にある映画当事者達がこの時代錯誤の中に敢然と余命を保ち得たのは、営利追及に汲々たるものあるにも拘らず、当事者間に資本主義的個人主義的な自由競争意識がなかった事に起因する。(全くなかったわけではない、あるにはあるのだ。)
 即ち彼らはお互いに独占的興行支配が可能だったからだ。此の事は一般観客に対して不親切を意味する。だから僕達がトオキイ上映の督促をなした際も、昂然とこれを退ける自信があったのだ。
 所が今述べたやうに、リーグの結成と優秀トオキイ作品の推薦上映によって、忽ち彼等は恐怖と狼狽とを感じなければならなかった。彼等は始めて競争意識と時代の動きに目覚めたのだ。
 此の恐怖と狼狽とが、三二年元旦から新世界のトオキイ興業によって現れた。之は愉快な且つ喜ぶべき現象であった。

としています。ちょっと引用が長くなってしまいましたが、要するに台湾シネリーグという多分に西洋趣味で新しい物好きな人たちがトーキー映画を中心とした最新の映画を台湾に持ち込もうとしても興行の権利がどうのこうのと既得権が絡んでちょっとしたもめ事になっていたのが、弁士を使っていた旧勢力というか既得権を持つ映画館が、トーキー映画の登場を前にして、もはやこれまでと諦めざるを得なかった、トーキーという新しい映画スタイルを推進しようとする台湾シネリーグに屈服したということらしく、この記事の著者は勝利の凱歌を挙げているというわけです。もうちょっと具体的に書いてくれるとわかりやすいのですが、まあ、狭い世界ですから具体的な名前はあんまり出さずにもったいぶって書いたら、上に引用したような文章になったのだろうと思います。

既得権打破は現代にも通じる難しい問題とも思えます。こんなこともあったのか、といった程度の内容ではありますが、当時の空気を知るにはいい資料ではないかと思います。

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