日本統治期の台湾で映画愛好家のために発行された『映画生活』の映画評の書き手に汪時潮という人物がいたようです。本名かペンネームかという問題は残りますが、主として日本人がやっていた愛好家サークルに台湾人と思しき人物が参加し、原稿も書いているというのはそれなりに注目されていいことと思います。私が見た記事の内容そのものは大したことがないというか、特段注目すべき点はない、単なるいろんな映画の感想で、政治性のようなものも感じられません。
ただ、当時の映画事情に関する研究では、日本人と台湾人では通う映画館が違っていた、特にサイレントムービーの時代では台湾人弁士が活躍して人気を博していたということが強調されていたものもありましたから、汪時潮という人物が日本人を主とするサークルにも参加していたというのは、やはり注目したいところです。他にもいろいろ書いているかもしれませんが、これについてはまた資料を読む中で発見することができれば、ちょっとここでも述べてみたいなあと思うところです。
もちろん、汪時潮なる人物が特に変わった人で、悪い言い方をすればコラボレーターみたいな位置づけになる可能性はありますが、それももうちょっと資料を読み込んでいくうちにある程度、人物像が浮かび上がってくるかもしれません。個人的には他にも同じように何かを書いている台湾人の原稿を見つけて、内容の比較のようなものをやればちょっとおもしろいかもしれないなあとも思います。私が今回読んだのは、昭和7年12月29日付のものですが、このあと日本がどんどん暗い方向に、残念ながら進んでいきます。その時代の趨勢のようなものを、台湾人の書き手がどのような心境で見ていたのか、で、敢えて原稿を書くという時に問題のないように、且つ自分の言いたいことを言うというある種のテクニックを発揮していたかどうか、気になるところではあります。運が良ければ分かりやすい資料に出会えるでしょうし、私の頭が良ければ分かりにくい資料から行間を読んで汲み取ることもできるかもしれません。ま、こういうのはこつこつやるしかありません。
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