ユグノー戦争を経てヴァロワ朝が途絶えた後、フランスでは名高いブルボン王朝が始まります。なぜブルボン王朝が名高いのかと言えば、単にフランス最後の王朝なので印象が強い、マリーアントワネットとかフランス革命とか、そういうのもブルボン王朝ですから、やっぱりベルばら的な意味でも印象が強い、ブルボンというお菓子のメーカーさんがあるから、覚えやすいあたりの理由で、特に何か凄いのかと言えば、ちょっと微妙かも知れません。
とはいえ、過去のカペー朝、ヴァロワ朝に比べれば、国際政治に与えた影響は著しく大きいものですから、全く論じず無視するというわけにもいきません。このブルボン王朝で、最も目立った王様がルイ14世であろうことは、議論が余地がないのではという気がします。ブルボン王朝の開祖であるアンリ4世が名君の誉高いのに対し、ルイ14世は評価が分かれる人であり、個人的にはちょっと誇大妄想がひどいというか、後世のウイリヘルム2世ともダブってしまい、戦争にも弱かった暗君という印象がありますが、一方ではおフランスの文化発展に大いに貢献したという評価もあり、ルイ14世が個人的な贅沢を楽しむためにヴェルサイユ宮殿が作られたり、また、ルイ14世が個人的支配欲を満足させるために様々な儀礼を生み出したことでフランス風のマナーが確立したというのも、貢献したといえば貢献したということになるかも知れません。
ルイ14世について特筆すべき点はなんといってもその無類の戦争好きということではないかと思います。奥さんがスペイン王フェリペ4世の娘さんだったため、スペイン王に関連する利権に手を突っ込んでちょっとでもとってやろう、獲れるものはものは何でも獲りたいという貪欲さには目を見張らざるを得ないところがあります。奥さんがスペインから輿入れしてきた際に、相当な額の持参金を要求したらしいのですが、当時のスペイン王国はフェリペ2世の時代にエリザベス1世のイングランドを征服しようと無敵艦隊を作ったところ、焼き討ちされて艦隊が全滅し、それをきっかけに国力が疲弊しており、その巨額な持参金が払いきれず、いわば、そのカタにするという意味で、スペイン領ネーデルラントの領有を要求し、ネーデルラント継承戦争を起こします。国際社会がルイ14世に反発し、ルイ14世包囲網みたいな感じになってきて、その時にフランスが拡大した領土は僅かであったらしいのですが、その後、一旦は矛を収めたと見せかけておきながら、イングランド王と神聖ローマ皇帝に中立を約束させ、改めてオランダ侵略戦争に踏み切ります(オランダはイングランドに助けを求めるようになり、英蘭の絆が深まって、後にナポレオン戦争の時にはオランダがイギリスに泣きついて長崎に英国船のフェートン号がやってくるという、フェートン号事件にまでつながりますが、ちょっとここではルイ14世に集中します)。
オランダ侵略戦争では、神聖ローマ皇帝が寝返ってオランダに味方し、更にスペイン、その他ハプスブルク家もオランダについてヨーロッパ全体を巻き込む大戦争になりますが、ビザンツ帝国の滅亡以来、脅威になっているオスマントルコ帝国が東ヨーロッパをうかがっているのにそんなことをやってる場合ということになり、ルイ14世がフランドル地方をもらうことで決着します。大戦争をやったわりには成果が少ないように私には思えるのですが、一応、ルイ14世の若いころの活躍みたいな感じで、彼が成功していたという文脈で語られることが多いような気がします。
更にその後、ルイ14世はフォンテーヌブロー勅令というものを出して国内のプロテスタントの追放を命じ、周辺プロテスタント諸国を征服する意思を固めます。神聖ローマ諸侯とイングランドを相手にした二正面戦争で、それで敗けなかったということの方が不思議なくらいにフランス軍は強く、要するに戦費をかけまくっており、それでも僅かな成果でルイ14世は兵を引きます。というのも、スペイン国王カルロス2世が病弱であったため、早世する公算が高く、ルイ14世の奥さんがスペイン王家の人ですから、自分の血統をスペイン国王に即位させることができるとの目算があり、そちらに力を傾注しようという大変に計算高い目論見があったからで、カルロス2世が亡くなった後、確かにルイ14世の孫のアンジュー公がフェリペ5世として即位します。ルイ14世の狙いとしてはフェリペ5世がフランス国王を継承すれば、フランス・スペインの同君連合が作れるという見込みが立っていたわけですが、警戒心を持ったイギリス、オランダ、神聖ローマ帝国の大同盟とフランス・スペイン王国、更にはプロイセンなどの反神聖ローマ帝国ドイツ諸侯の連合というヨーロッパ全体を巻き込むんだスペイン継承戦争が始まります。この戦争では一進一退が繰り返されますが、フェリペ5世がフランス国王の継承権を放棄する(スペイン・フランス同君連合にはならない)と宣言することで、話が収まり、多分、みんな疲れてしまっていたので、大体、手打ちということになっていきます。この戦争で、ルイ14世の拡大主義が抑制されることになった一方、神聖ローマ皇帝が弱すぎるということがばれてしまい、ドイツ諸侯の王国の独立性が高まっていき、プロイセン王国が主要国として頭角を現していくという副作用も生みました。
莫大な戦費を調達するために重ねた借金はその利息だけでも巨額なものであったらしく、それがやがてブルボン王朝の滅亡へとつながっていくのですが、果たしてこのルイ14世という人は引っ掻き回すだけ引っ掻き回すトリックスターであったとも思え、本当にこの人は何なんだ、というのが個人的な印象です。結果、子孫のルイ16世が殺されてしまうわけですから、災いが子孫に祟ったとも思えます。いよいよ、ヨーロッパの近代が始まろうとしていた時代です。