ユグノー戦争とヴァロワ朝の終焉‐カトリーヌ・ド・メディシスとノストラダムス

近世フランスでは、ユグノー戦争と呼ばれる大戦争が何十年も行なわれました。カトリックを信じるか、それともプロテスタントを選ぶかが政治的・社会的・個人的な課題となり、要するに当時のヨーロッパで起きる現象の全て(自然現象を除きます。言うまでもないですが…)に影響していたと言ってもいい、大問題であったわけです。

当時のフランス王朝はカペー朝から政権を引き継いだヴァロア朝で、英仏百年戦争を乗り切り、イタリア戦争や神聖ローマ帝国への介入など、ヨーロッパの強国として振る舞い始めたわけですが、1500年代は国内で分裂して大変にしんどい殺し合いになってしまっていたと言うこともできそうです。

ヴァロア朝の最後の王であるアンリ3世は、少年期はプロテスタントへの志向が強かったようですが、母親のカトリーヌ・ド・メディシスがイタリア屈指の大富豪であるメディチ家出身で、絶対に誰が言おうとカトリックという人でしたから、母親からのプレッシャーで彼はカトリックを選びます。

アンリ3世の時代、有力なアンリが更に2人いました。3アンリの時代です。有力なアンリの一人はナバラ王のアンリで、フランスとスペインの間にナバラという土地があって、両国の奪い合いになっており、ドイツとフランスの間のアルザス・ロレーヌ地方みたいになっていたわけですが、当時はスペイン優勢であったにもかかわらず、フランス側でも独自で名目上の「ナバラ王」なるものを立てており、ナバラ王のアンリは領地は持たない王としてフランス国内で暮らしており、ナバラ王アンリはプロテスタントを信じていましたので、プロテスタントサイドからはフランス国王に即位してもらいたいという期待の星で見られていました。もう一人のアンリはギーズ公アンリで、この人は徹底的なカトリック派でしたから、カトリーヌ・ド・メディシスとも意見が合い、カトリック派の期待の星ではありましたが、カトリーヌの息子のアンリ3世を排除して自分がフランス国王に…という野心を抱いていたため、潜在的にはカトリーヌとも敵対関係にあったという、カードゲームで言えばジョーカーみたいな立場に立っていたわけです。

背後では、英国教会を信仰する英国のエリザベス1世がフランスのプロテスタント派に手を突っ込んでおり、一方で、熱心なカトリック派のスペイン国王フェリペ2世が手を突っ込むという、事態を更に複雑にする要素もあったようです。

そのようなややこしい状態で起きたのがサンバルテルミの虐殺と呼ばれる事件です。ナバラ王アンリの結婚式に集まった人々をギーズ公アンリが虐殺するという普通に考えても倫理的に大問題のある事件だったわけですが、『王妃マルゴ』という映画では、カトリーヌの相談相手だったノストラダムスが「ナバラ王アンリが次の王になる」と予言したために、息子のアンリ3世が可愛いカトリーヌが裏で糸を引き、ナバラ王アンリ殺害のためだけを目的にサンバルテルミの虐殺が行われたという設定になっています。しかもこの陰謀では大勢の人が殺されたにもかかわらず、ナバラ王アンリだけは脱出に成功するという、皮肉かつ無駄な結果に終わってしまいます。

一応、一見したところではナバラ王アンリの排除には成功したとも言えるため、ギーズ公アンリとしては次はアンリ3世を排除したいというところであり、アンリ3世は本音ではプロテスタント派で、プロテスタントに融和的でしたから、カトリック派からの支持も期待できるという状態ではありましたが、ギーズ公アンリはアンリ3世の陰謀(実質的には間違いなく、母親のカトリーヌの陰謀)で、暗殺されるという顛末を迎えます。

これにてナバラ王アンリもギーズ公アンリもパリからいなくなり、カトリーヌの狙い通りにアンリ3世は安泰…となるはずでしたが、アンリ3世がそもそもプロテスタントに融和的であることで、カトリック派からの支持を得ることができず、ドミニコ会修道士に短剣で刺されて命を落とすという展開を迎えます。アンリ3世は即死ではなく、刺された日の翌日未明まで息があり、その際にナバラ王アンリを死の床に呼び出して、フランス国王の後継者に指名し、息を引き取ったとされています。

かくしてナバラ王アンリがフランス国王アンリ4世に即位し、ノストラダムスの予言は成就し、カトリーヌ・ド・メディシスの悲嘆は如何ばかりかとも思いますが、アンリ4世は信仰の自由を認める(カトリックでもプロテスタントでも自分の好きな方を選べばよろしい)という有名なナントの勅令を発し、ユグノー戦争を収めます。アンリ4世は平和主義的な融和政策を進め、戦争以外の方法で宗教対立が収まるようにと手を尽くし、現代に至る国際法の精神の第一歩を記したみたいなところもあるのですが、彼もまた、狂信的なカトリック派の人物に刺殺されるという最期を迎えます。王家の人間になると普通に死ねないというのは、まるで飛鳥時代の天皇家みたいで恐ろしいとしか言いようがないのですが、アンリ4世の生涯についての知識を得ると、彼が『王妃マルゴ』という映画で善人として描かれていることの理由もよく分かるように思えます。この映画ではアンリ3世も心の優しい善人だけれど、気が弱いという感じで描かれていますが、彼が死の床でナバラ王アンリという政敵に王位の継承を託したという、人生の最期で宥和を選んだという、惨たらしい歴史の中で数少ない美しいと思える一面があったからではないかという気がします。

こうしてアンリ4世から有名なブルボン王朝が始まるわけですが、ブルボン王朝ではルイ14世の時代にカトリックへの回帰を宣言し、結果としてプロテスタント商人の国外脱出が相次ぎ、フランス財政に打撃を与え、やがてはフランス革命へとつながっていきます。宗教を信じるのは自由ですが、他人の信教に首をつっこむと碌な結果にはならない教訓と言えるかも知れません。


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