ユリウスカエサルと共和制ローマ



ユリウスカエサルは少年期に於いて必ずしも恵まれた環境にあったわけでもなかったようです。カエサルと縁戚関係にあたるマリウスが政敵スッラと死闘を続けていましたが、マリウスが病没したことでスッラによるマリウス派に対する粛清が行われ、カエサルも一時期は処刑対象者になったとされています。各方面から助命を嘆願され、命は助かりましたが、スッラが亡くなるまで小アジアに亡命生活を送っています。

スッラが亡くなると官僚として属州に派遣されるようになります。アレクサンダー大王が亡くなった年齢に達したにもかかわらず、属州に派遣される官僚身分という自分の運命に嘆息したとも伝えられていますが、その後、共和制ローマの運命を握る巨大な政治家へと育っていくことになります。大器晩成ということかも知れません。

一般に、カエサルとポンペイウス、クラッススによる三頭政治が行われ、ガリアを平定したカエサルがルビコン川を渡りポンペイウスと対決して勝利し、終身独裁官になるものの共和s制が破壊されることを恐れた反カエサル派によって暗殺されたと説明されていますが、スッラによる独裁政治がそれ以前に行われていましたから、ローマ市民社会そのものが変貌せざるを得ない時期に至っていたと言えるのかも知れません。

カエサルの書いた『ガリア戦記』は散文としての評価が高く、古代ローマではキケロとカエサルが散文の二大才能として賞賛されることがよくあります。カエサルはエジプトに遠征したときもクレオパトラと組んで戦争に勝っていますし、有名な「見た、来た、勝った」という言葉も残しているくらいですから、文才も戦争の才能もあったという意味で、傑出した存在だったのかも知れません。更に、女性からおおいにもてたということですから、羨ましい限りではありますが、いろいろな意味でカエサルの非凡さは際立っています。莫大な借金があって、貸し倒れを恐れた貸主たちがカエサルを支えたという話も残っていますから、普通だったら殺されていてもおかしくないところを、そのような運命を手にしてしまうという意味で、超絶に運のいい男だったとも言えますし、その運の良さを女性が本能的に見抜いて彼に好意を寄せたのかも知れません。

さて、上に述べたように、カエサルは政敵を全て倒して終身独裁官に就任しますが、権力を完全に手中に入れてからほぼ一年ほど後に信頼する周囲の人々に裏切られ、シェイクスピアが「ブルータス、お前もか」と書いた最期を迎えます。カエサルは相当に滅多刺しにされたらしいので、暗殺者グループはかなりカエサルのことが怖かったのかも知れません。

自分のやるべき仕事がだいたい終わると突然に運勢が尽きて殺されてしまうというのは、坂本龍馬に近いものを感じさせるもので、人間の運命というものに思いを馳せざるを得ません。ただし、共和制の維持のためにブルータスたちはカエサルを殺したにもかかわらず、ローマは帝政へと移行していきます。カエサルが事前に残しておいた遺書で養子のオクタヴィアヌスを後継者に指名していたことも大きく作用したとは思いますが、暗殺者グループの中でも、その後の政見を持っていなかった、どのように政治を運営していくかビジョンを持たず、カエサルさえ殺してしまえば全ては以前と同様の元通りのローマに戻るだろうという甘い楽観的な考えを頼っていたからと言えなくもない気がします。

カエサルの死後、オクタヴィアヌスがローマ政界で強い力を持つようになり、ブルータスは海外に亡命して、亡命地で包囲されて自害するという運命を辿りました。オクタヴィアヌスはカエサルの遺言を受けているということが大いなるウリになっており、カエサルをこれでもかと高めることで自分の権威を高めるという手法を取りましたから、カエサルは確かに伝説的な人物ですが、オクタヴィアヌスによる伝説化も現代のカエサルに対するイメージに影響しているのかも知れません。



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