アレクサンダー大王という英雄モデル

敢えて若干おおげさな表現をするとすれば、アレキサンダー大王は世界征服を成し遂げた男と言えます。ジュリアスシーザーも、ナポレオンもアレクサンダー三世を理想とし、そのように生きたい、そのように勝ちたいと望み、到達できなかった高みの存在とも言えます。

何がすごいのかと言うと、少年時代にギリシャ遠征を経験して以来連戦連勝で、アケメネス朝ペルシアを滅亡させ、更に進んでインドまで到達したという当時としては前人未踏とも言える広大な地域を征服したことなわけです。当時、世界の中心を自負していたギリシャ人はペルシアのことは脅威としてよく知っていたに違いありませんが、その先にあるインドになるともはや全然別の世界。現代人の感覚で言えば、月どころか火星くらい遠い場所のように思えたはずですから、インド遠征から帰ってきたアレクサンダー大王のことを、とてつもない偉業を成し遂げた人物として畏敬したに相違ありません。

はるばるインドまで勝ち進んだアレクサンダー大王ですが、そこで戦争に負けたわけではなく、兵隊たちがそれ以上先に進むのを嫌がったためにやむを得ずギリシャ・マケドニアまで帰ったとされています。想像ですがインド亜大陸に入った途端に湿度が上がり、兵隊たちは慣れない気候に耐えられなかったのかも知れません。

アレクサンダー大王が伝説的な存在として語り継がれてきた理由の一つとして、惨めな老境をさらさなかったということもあるかも知れません。35歳の時、アラビア遠征を計画中に熱で倒れ、10日ほどで息を引き取ったと言います。ナポレオンはネルソンに敗れて以降、囚われの身となって大西洋の絶海の孤島であるセントヘレナで亡くなりますが、ナポレオンとしては悶々と先のない晩年を過ごすより、アレクサンダーのように太く短くぱーっと散りたいと願ったのではないかという気がします。ジュリアスシーザーの場合は盟友に裏切られた上に激闘の末の憤死ですので、絵になるかどうかという観点から言えば絵になるとも言えますが、アレクサンダーのようにある意味ではぽっくりと簡単に死ねばという意味では、アレクサンダー的な最期の方がより理想的かも知れません。

なんと言っても史上最大の帝国の継承者について「一番強い者が継承すること」と遺言したことが、中二心をくすぐる気がしてなりません。欲得もなく、死後の名声も願わず、不老不死を願うこともなく、潔く、自分の美学に合う人物→「強い男」に譲るというのが、彼の人生観を示しているのではなかろうかとも思えます。短い人生をばーっと駆け抜けて、やりたいことをすばやくやり遂げてしまい、老いの哀しみも知らずにあの世を旅立つというのは、生きている間にかっこいいところだけを見せて死ぬわけですから、英雄モデルとしては大変によくできていますし、英雄タイプの人間、シーザーやナポレオンが憧れたというのも不思議ではないことに思えます。

アレクサンダー三世が残した帝国は部下の将軍たちに引き継がれ、分裂し相争うようになり、そうこうしているうちに世界の中心はローマ帝国へと移動していきます。

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