ペロポネソス戦争‐古代ギリシャの終焉

古代ギリシャの最も著名な都市国家といえば、アテネとスパルタの両都市であろうということに異論はないと思います。アテネはデロス同盟を率い、スパルタはペロポネソス同盟を率いて互いに対抗する関係にありました。

対抗関係に入る前は、アケメネス朝ペルシアによるギリシャ侵攻に対して両者は共同して脅威に立ち向かい、独立を維持しましたが、このペルシア戦争での勝利後に対抗関係へと入っていくことになります。

アテネは主として海に利権を持ち、スパルタは主として陸に利権を持っており、それぞれに植民都市、衛星都市、同盟都市を従えて繁栄を誇ったものの、アテネを盟主とするデロス同盟から離反する都市が増加し、徐々にアテネにとって形成が不利になっていきます。ペルシア戦争の時はアテネの市民兵士軍団が力を発揮しましたし、彼らの直接民主制は現代の我々の視点からしても、憧れや理想と呼べるものがあるはずなのですが、民主主義の社会ではデマゴギーや有象無象の出現のリスクが常にあり、アテネの政治が迷走してやがて衰退していった原因として直接民主制が衆愚政治を招来したからではないかと考える人もいるようです。アケメネス朝ペルシアと内通する者などもおり、果たして理想と現実はどの程度乖離するものなのかと悩ましくも思えます。現在の日本は間接民主制であり、問題はいろいろあるものの、直接民主制が採用されなかった背景の一つとしてはアテネ的な衰退を招くことを恐れたものと言えます。

アテネとスパルタが決定的に対立するようになって後、緒戦を経てスパルタがアテネを包囲する展開が生まれ、アテネは降伏します。アテネ人のソクラテスはスパルタ支配の下で死刑判決を受け、有名な悪法も法なりという言葉を残して死んでいきます。

古代ギリシャ世界はスパルタが覇権を握り、最終的な勝利者になったかにも見えましたが、ギリシャ世界内部での戦争が続いている間に北方のマケドニアが勢力を伸長させ、フィリッポス二世によるギリシャ侵攻があり、続いてアレキサンダー大王による東方遠征が行われる時代へと入っていき、更にその後、世界の中心はローマへと移動していきます。現代にまで残る文化や思想を育んだ古代ギリシャ世界ですが、成熟の先に互いに反目して衰退していったと見てもいいのではないかと思えます。現代人にも関わる教訓ではないかと個人的には思えます。

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