ジェームスジョイスの『ユリシーズ』は、古代ギリシャの伝説的古典である『オデュッセイア』を下敷きにしています。しかし、オデュッセイアが神話的英雄譚になっているのに対し、ユリシーズの場合は近代人の悲哀に満ちたものになっています。その両者を比べてみたいと思います。
『オデュッセイア』では、トロイ戦争で勝利したオデュッセウス王が帰還の途中で遭難し、ただ一人、どこぞとも知れぬ島に漂着しますが、そこで女神に愛され、7年にわたって衣食住に不自由のない生活を送ります。オデュッセウス王はそれでも故郷に残した妻子を忘れることができず、再び出航しますが、ポセイドンの怒りによって再び遭難し、またしてもどこぞとも知れぬ島に漂着し、その島のナウシカ姫に救助されます。ナウシカ姫もオデュッセウス王を愛しますが、やはりオデュッセウスは妻子の元へ帰るべく出航し、漸く故郷に帰りつきます。トロイ戦争に出征してからすでに20年の歳月が流れており、オデュッセウス王の妻への求婚者が邸宅に入り浸っていましたが、オデュッセウスが一人残らず成敗し、夫婦はかつてと同様の愛の生活へと戻っていきます。大変に美しく、かつかっこいい英雄的な愛の物語になっているわけです。
一方で、『ユリシーズ』では、主人公の男性であるレオポルド・ブルームのとある一日を描いています。しかし、その内容はオデュッセウスの20年間の不在に匹敵するほどに濃いものです。そして悲哀に満ちており、英雄的な要素は皆無と言って良いものです。オデュッセウスが王であり、トロイ戦争の勝利者であるのに対して、レオポルドは新聞社の広告営業をしています。オデュッセウスがトロイ戦争で完全勝利を収めたのに対し、レオポルドは新聞社のボスに電話で散々に怒鳴り散らされながら、どうにかボスの提示した条件にぎりぎり満たない(!)程度の広告契約をまとめることに成功します。この時点でへとへとです。レオポルドの妻はオデュッセウスの妻と同様に美しい人ですが、オデュッセウスの妻が20年間貞淑であったのに対し、レオポルドの妻はレオポルドがたった一日仕事に行っている間に他の男とそういう関係を結んでいます。知らぬはレオポルドばかりなりというわけです。ダブリンの街を歩くレオポルドは、ナウシカという魅力的な女性を見かけます。オデュッセウスのナウシカ姫と対応関係にある女性です。しかしナウシカがレオポルドを愛することはありません。彼はナウシカの美しさに圧倒され、欲望しますが、自らを慰めるだけで満足しようとします。その他、酔っ払いにつきあわされたり散々な一日を送り、夜遅く帰宅するのですが、彼は妻の様子から妻の情事に気づきます。しかし、彼は黙って眠りにつきます。孤独、虚しさ、抵抗することにすら意味を感じられない現実をオデュッセウスという英雄と対比させるようにして描いたことから、近代人のどうにもならない現実を描いたとして、モダニズム小説の嚆矢のように褒め称えられる作品ですが、まあ、ようするにがっくり来るような話です。
宮崎駿さんは当然にオデュッセイアのナウシカ姫とユリシーズのナウシカの両方をよくよく承知の上で『風の谷のナウシカ』を制作したに違いありません。オデュッセイアで無償の愛を捧げるナウシカ姫と、ユリシーズで男を欲望させるナウシカの両方があのアニメ映画に込められているのだとすれば、今後、『風の谷のナウシカ』を観る際に、更に一歩深く理解できるようになるかも知れません。