トルストイ『戦争と平和』とナウシカ

トルストイの『戦争と平和』は、ナポレオン戦争を背景に、ロシアの貴族から農民に至るまでの幅広い人々の人生、愛、嫉妬、欲望、寛容、赦し、絶望と希望を描いた大作としてよく知られています。

ロシアがナポレオンとの講和要件を反故にしたことで、ナポレオンは大軍を擁してロシア域内に進軍しますが、補給が思うようにはかどらず、ナポレオン軍は次第に衰退していきます。ベルリン、ワルシャワ、モスクワあたりは何にもない大平原が延々と続くようなエリアで、馬で走れば結構早く移動できるらしいのですが、馬の速度に補給が追い付かず、モスクワを目指す征服者はどうしても補給で苦しむと言われています。ナポレオンしかり、アドルフヒトラーしかりといったところでしょうか。

ロシア軍が戦略的に撤退することで、ナポレオンはモスクワ入城を果たしますが、ロシア側の焦土作戦によりフランス軍は更に衰弱し、補給が届かないまま冬を迎えることを恐れたナポレオンは撤退します。これを境にナポレオンは転落への運命を辿っていくことになりますので、彼の人生を考えると、天才とは運であるとしみじみ思はざるを得ません。ナチスドイツの場合、モスクワ入城には届きませんでしたが、スターリングラード戦では、ドイツ軍はソ連軍の戦略的撤退に引き込まれるようにしてスターリングラード入城を果たし、包囲され、事実上の全滅へと追い込まれていきます。ロシアはその広大な領土が強みであり、ちょっとぐらい相手に譲っても、最終的にはへばらせて勝つという肉を切らせて骨を断つ戦略が可能な国であると言えます。

『戦争と平和』はこういう壮大なスケールの話に人間の心の機微を乗せるという神業をしているわけですが、この作品を読んで風の谷のナウシカを想起しないわけにはいきません。風の谷のナウシカの漫画版では、ナポレオン戦争よろしくトルメキア軍がドルク帝国域内に深く侵入し、聖都シュワを目指しますが、進軍する過程で激しく消耗し、兵隊の数はみるみる減っていきます。またドルク帝国側は蟲を用いた焦土作戦で国土を犠牲にしながら敵を消耗させるという、なかなかやぶれかぶれな戦略で対抗しますが、この構図はナポレオン戦争を想起しない方が無理と思えるほど酷似しているように思えます。もちろん宮崎駿さんのことですから、意図的に意識してそうしているに違いありません。

戦場で無償の愛の行為を実践し、悩み傷つくナウシカの姿に大きな感動を得る人は多いと思いますが、漫画版ナウシカもトルストイなみにスケールの大きな話と人の心の機微、生きる意味、死ぬ意味、幸せとは何かみたいなことをいろいろと考えさせてくれますので、21世紀に生きる我々は、幸いに両方読むことができますから、是非、現代人両方読むべきなどと思ってしまいます。

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