果たして憲法は何のためにあるのか。という疑問を一度も持ったことがない人はいないのではないかと私は思います。憲法は確かに重要なものですが、人間の歴史を見ると、憲法がない時代の方が圧倒的に長く、日本では100年ちょっと前に明治憲法が作られ、現行の平和憲法も70年余りの歴史しかなく、本当に憲法がないと困るのか?という疑問が湧くときがあります。
もちろん、我々の民主主義を担保するためには憲法は必須のものと思いますから、民主主義の概念がまだ最近のものである以上、憲法がまだ最近のものであることもやむなしと言えるのかも知れません。
憲法の最大の主旨は国家権力に一定の拘束をかけることを目的にしており、その点で争いはないと思いますし、基本的人権の尊重が憲法で明記されることによって、国家権力の濫用に歯止めがかけられ、我々は民主主義を享受することができるだとも言えると思います。
では基本的人権(たとえば思想信条の自由)は私人間に於いても有効なのでしょうか。人間関係の多くが優位と劣位で構成されます。特に雇用主と被雇用者の間には歴然たる権力関係があるとも言えますから、国家と同様に拘束を受けるべきなのでしょうか。それともその辺りには相当程度の自由があると言えるのでしょうか。
大変に有名な事件ですが、東北大学の院生が化学製品の大手企業に採用された後、在学中学生運動に参加していたことが発覚したことで、試用期間後に解雇され訴訟に至るという事例がありました。日本人は憲法で思想信条の自由があるため、たとえ企業であったとしてもそれを犯すことはできないから、雇用関係に於いて過去に学生運動に参加したことを理由に解雇するのは不当であるというわけです。憲法が私人間でも効力を持つのかという点が注目されました。
裁判所の判断では、憲法の効力が直接私人間に及ぶことはないという立場が採用され、間接的にはそれはあり得ても、直接的にはあり得ず、企業はどんな人を雇用するかについては相当に高い事由を有しているという結論が示されました。
この事件では原告と被告が和解し、原告は十年以上の裁判での闘争を経た後に職場に復帰したわけですが、結果としては憲法の効力がやたらめったらと広い範囲に及ぶのは困るものの、個人の生活や人生にかかわることだから、そこはなんとかしましょうよという原則NOで例外的YESのような解決が図られたのだと理解することもできるのではないかと思えます。裁判所が違憲審査を認めることはまずありませんが、訴訟に至った場合、個別具体的な救済の手を打つことで、まあまあなんとか。としている事例が多いように思うのは、私がまだまだ浅学だからでしょうか。