アメリカプラグマティズム‐行動せよ。そして問題を解決せよ。

ヨーロッパの哲学では人間とは何かを探求することにそのエネルギーが使われて来ましたが、アメリカでは全く違った角度からの哲学的探究がなされていくようになります。

アメリカプラグマティズムの祖とされるパースは「形而上クラブ」と呼ばれるある種の知識人サロンのような場で、ヨーロッパで探求された観念をより明確化されるためには「行動及びその効果」を問題にすることが肝要であるとの主旨のことを述べました。即ち、物事を観測する際に、単に観測するだけでなく、行動によって何らかの影響を与え、どのような反応なり結果なりが出てくるかによって、それがいかなる性質のものかをよりはっきりと知ることができるとしたわけです。

パースは飽くまでも哲学上の探求の手法としてそのようなことを考えていたわけですが、パースの後を引き継いだジェームズはそれを更に拡大・発展させ、「役に立つかどうか」を問題にします。役に立たないものは人間にとって意味がないので、特に観察する必要もなければ、問題にする必要もない。一方で役に立つのであれば、大いに活用すべしというわけです。神が存在するかどうかが問題ではなく、神が存在すると信じることによって心の平安を得たり、魂の救いを感じたりする人がいるのであれば、神が存在すると信じることには意味があり、信仰は役に立っていると言えるため、それでよしとしようというのです。これも一つの考え方、合理的かつイギリス功利主義の最大多数の最大幸福を更に具体的にした考え方を言ってもいいかも知れません。

アメリカプラグマティズムで最も有名なのは、その名もずばり『プラグマティズム』という著作を発表したジェームズだと思いますが、プラグマティズムを更に深化・発展させたのはデューイであると言えるかも知れません。デューイは行動を重視しました。行動して問題を解決することが肝要であるとし、問題解決のために役に立つ知識は大いに活用されてしかるべしだが、そうではない知識にあまり拘泥することもよろしくないというわけです。

問題はいついかなる時も起こり得ます。そして大抵の場合、問題は想定外であったりします。想定内のことであれば、それは問題ではないからです。想定外の問題に対しては、その都度、創造的に考え、必要な情報を集め、新しい解決策を考え、実際に問題を解決していかなくてはいけません。そしてそれらのことは行動を通して本当に効果が出るかどうかを観察し、効果が出なければそれは何故なのか、効果が出るのたのであれば、それはそれでそれは何故なのかを考え、新しい取り組みを始める。そうするとやがて新しい想定外の問題が生まれるため、それに対してやはり創造的かつ行動的に問題を解決していく。そのプロセスを繰り返す。

大変にアメリカらしい、フロンティアスピリットに富んだ考え方と呼ぶことができるように思えます。ヨーロッパでは19世紀から20世紀にかけて人間とは何か、その内面は何故存在するか、それにはどういう意味があるかを延々と問うていく実存主義が発展しますが、新世界アメリカでは、そんなことより役に立つかどうかを重視したという点で、思想面においても新しい地平を提供する役割を担ったと言うこともできるのではないかと思えます。

さて、今は21世紀です。新しい覇権国家が生まれるのか、それともぐっちゃぐっちゃらになるのか、或いはアメリカの覇権が維持されるのか、世界の行方が揺れていますが、そういうことも量子論的確率論で説明できるという人も探せばいるかも知れませんねえ。

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