キルケゴール‐これが私の生きる道

キルケゴールはその思想よりもまず、彼の人生の方が興味深いように思えます。父親の遺産で生活していたために無職で通し、教会や新聞記者との討論の果てに疲れ果てて倒れ42歳で他界する彼の人生は、ある種の夢や芥のようなものであり、そうであると分かっているがゆえに彼は絶望と常に戦わなくてはいけませんでした。

彼にとって最大の関心事は彼の心中に巣食う絶望をいかにして処理すべきかということであったに違いありません。24歳の時にレギーネ・オルセンという14歳の少女と出会い、ここでは「少女」としましたが、多分、美少女で、そうでないとキルケゴールの人生がしっくり来ないように思えるので美少女だという設定で進めますが、三年後には婚約を果たすものの、「自分のようなくずには彼女を幸せにする権利はない」と思い悩み、遂に婚約を破棄するに至ります。

一体、あなたは何がしたいのか?と訝しく思ってしまう面もあるのですが、そのようなちょっと正確破綻な部分があるのは、彼の生育環境と関係があるのかも知れません。父親がお金持ちで不自由のない生活を送ることができ、青少年期は友達と放蕩することができましたが、22歳の時に母親が亡くなり、父親から「お母さんは元々女中さんで、妊娠したから結婚した。神を呪ったことがある」と聴かされ、キルケゴールの人生観が崩壊します。意外にもろい人生観とも思えますが、金持ちのぼんぼんらしい崩壊の仕方であり、太宰治を連想しなくもないですが、敢えて言えば太宰の方がキルケゴールのエピゴーネンだったと言えるのかも知れません。

彼はここで、それまでうすうす気づいてはいたものの、やはり放蕩には意味がないということをはっきりと悟り、自分が祝福されずに生まれてきたことに絶望と罪悪感を覚え、絶望との闘いが人生のテーマとなり、『死に至る病』という著作で、絶望こそが真実に死に至る病であると表現します。キルケゴールは旧約聖書でアブラハムが神から息子イサクを生贄にすることを要求され、アブラハムは苦しんだ末に要求を受け入れる覚悟をし、イサクを殺そうとするその瞬間に神からその義務を免除されたエピソードを取り上げ、これはアブラハム個人の神との対峙の仕方の問題であるとし、自分が如何に生きるか、即ち自分が社会の構成員としてではなく個人として如何にして神に対峙するかが個々人に問われるとしました。個人主義的な実存主義の始まりです。

神との対峙は個々人の問題であるため、社会科学的に群体としての人間の進化のようなものは問題ではありませんし、それを考えることもあまり意味はないため、キルケゴールは人間を社会の構成要素として考えたヘーゲルを批判します。そのようなものは無意味だし、そもそも多分、間違えているというわけです。

キルケゴールはレギーネ・オルセンとの婚約を破棄した後も彼女への愛を失うことはなく、生涯の恋人、永遠の人であり、その著作は全て彼女に捧げられたと言います。実存主義は最近は流行りませんが、なかなかロマンチックな面を持っていたとも思えます。

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