ルソーと格差社会とピケティ

フランス革命のわずか前の時代まで生きたルソーはなかなかに壮絶な人生を送った人です。幼少期に孤児になり、少年期には労働に従事させられます。現代の人権感覚から言えば児童労働はゆるされない重大な人権に対する挑戦ですので、その点からも同情すべき点の多い人生を送った人と言えます。多少の時期的なずれはありますが、ヴィクトルユーゴ―の『レ・ミゼラブル』を連想させられます。

16歳で労働現場を脱走し、上級社会の夫人に拾われ、学問や音楽の教育を受けることができるようになります。松本清張の『砂の器』を想起させるドラスティックな人生の変化です。しかし、40代を過ぎるまでは社会的に認められることはなく、不遇な時期が長かったとも言えるかも知れません。

彼はそのような人生を送ったからか、人間社会にはびこる不平等を強く批判し、それを『人間不平等起源論』と書物にまとめ、文明が発達する前の自然な状態に帰れば、搾取も階級もない自己保存と惻隠の情だけの人間社会が営まれるようになるため、人々はそこを目指すべきだ、自然に帰れと言う議論を展開します。当時のフランスがまだまだキリスト教の影響の強い時代であったことを考えれば、アダムとイブが知恵の実を食べてエデンの東に追放される前の状態へ帰るというようなイメージがあったのかも知れません。ホッブスが自然状態が「万人の万人に対する闘争」とした点に於いて、自然状態に対する考え方が決定的に違いますが、これは両者の王制に対する考え方の違いなのかも知れません。ロックはより人間に対する信頼が厚かったため、ルソーに近いと言えますが、ロックが人間は理性を働かせることができるから秩序を維持できるのだと考えたのに対し、ルソーは素朴な感情面に於いて人には愛情関係を結ぶ力があるから秩序を維持できるのだとした点では違いがあると言えます。また、ロックが権力の集中を防止するために三権分立を考えていたのに対し、ルソーは人民への権力の集中を考えていましたから、その点での違いもあると言えます。人民への権力の集中というような言い方をすると、社会主義革命を連想してしまいますが、ルソー自身は一定程度の個人財産の所有は容認していますので、共産主義とは若干の違いがあります。あ、ということは、やっぱり社会主義、あるいは社会民主主義といった感じでしょうか。サンダースさんみたいな感じのことを考えていたのかも知れません。

彼の考えによれば、富める者はますます富み、搾取される側は永遠に搾取されるということですので、ピケティが証明したことを既に200年以上も前にルソーが論証していたと考えてもいいのかも知れません。

ピケティは格差社会の解消のためには富裕層に対する資産税を世界で同時に実施するしかない(要するにそれは実現不可能である)としていますが、ルソーの場合は格差のない社会にするためには全ての人々が直接民主制という形で意思決定に参加することによって格差の適正化を目指すべきだと考えました。彼はそのような手法によって確立された意思を一般意思と呼び、ひとたび決められた一般意思に対して人々は必ず従わなければならない、そのように契約するべきだとして社会契約説を唱えるに至ります。

40代で社会的成功に手が届いたルソーですが、当時のフランスのアンシャンレジームを否定する思想であったために危険思想の持ち主として犯罪者扱いをされ、指名手配されるはめになり、放浪生活に入り、不遇のうちに人生を閉じます。なんと気の毒な人物なのかと同情を禁じ得ません。ルソーは社会主義の源流であると同時にブルジョア革命の源流にもなったとも言えますので、大変に重要な人物として位置付けられていますが、メルヴィルの『白鯨』が彼の死後評価されたり、ゴッホの作品がやはり死後に評価されたりということはありますので、真実の天才は或いは死後に評価されるものなのかも知れません。人間の精神が死後も存在するかどうかは古代ギリシャ時代から議論のあるところではありますが、もし唯物論的に死後のなんかないということであれば、自分が評価されたことが全く分からないわけですから、本当に浮かばれません。とはいえ唯物論であれば死後に浮かばれるも浮かばれないもないわけではありますが。エピクロスが「死んだら何にも分からなくなるから死ぬのは怖いと思わなくていい」というのが真実なのかも知れません。個人的には死後の世界はあると思いたいところですが、こればっかりは死んでみないと分かりません。ちょっと脱線し過ぎですのでこの辺で。

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