フランシスベーコン‐良くも悪くも現実主義

イギリス経験論哲学の祖とも言えるフランシスコベーコンですが、その発想法の原点は徹底したリアリズムにあったようです。そのため、古代ギリシャ哲学が「宇宙の真理」を探求したことに対しては軽蔑的な態度で臨んでいたとも言われます。観察することによって知識や真理に到達するという点では古代ギリシャ哲学とも共通する部分はあるように思えますが、ベーコンは「役に立つ知識」を重要し、役に立たない知識には関心を持たなかった、或いは「そんな知識を得るための努力は無駄としか思えない、思索にふけって神とか世界とか善とかについて考えるやつってばかじゃね?」くらいに思っていたらしいのです。ベーコンはイギリス近代思想の礎になったとも言えますが、フランス近代思想の礎となったモンテーニュとはその点によって違うがあると言ってもいいかも知れません。

どうも、そのような発想法を持つに至った背景には若いころに苦労し過ぎたということがあったのではないかとも思えます。父親の遺産を受け継ぐことができず、青年期は借金に苦しんだといいます。その後は法曹の世界で活躍し、政治の舞台にも登場して栄達していくわけですが、出世のためには手段を選ばないところがあったらしく、結構、えぐいこともやっていたらしいです。晩年期に入ってから、収賄の罪に問われて失脚し、著述や研究に没頭する日々に入ります。ある時、雪で冷やせば肉の保存期間が長くなるのではないかと考え、その実験をしているときに肺炎になってしまい亡くなってしまいました。想像ですが、ベーコンとしては「もう一花咲かせてやりたい」という思いが強く、「冷蔵技術を確立すれば儲かる」という動機で上のような実験をしたのではないかと思えます。

そのように書くと、人間的に問題のある人で、なんだかなぁ…という結論になってしまいかねませんが、彼の残した4つのイドラという概念は大変に説得的でかつ教訓的でもあると思えます。一つが「種族のイドラ」、次が「洞窟のイドラ」、続いて「市場のイドラ」、そして最後に「劇場のイドラ」があります。イドラとは偏見を意味しており、種族のイドラとは人間という種族が本質的・内在的に有する偏見で、洞窟のイドラは個人的な思い込み、井の中の蛙大海を知らず的なもので、市場のイドラとは市場で飛び交う種々雑多な情報に右往左往させられることを指し、劇場のイドラとは権威にひれ伏しそれを崇拝し、無批判に信じることを指しています。

以上の四つのイドラに自覚的になることはより良い人生を送る上で特に大切なことのように思えますが、ベーコンの場合は以上の4つのイドラを利用して出世したい、おいしい思いがしたいという側面が強く、そういう意味では本人もまた深い業によってイドラに取り込まれた人であったと言えるかも知れません。もっとも、我々人間でも多かれ少なかれイドラを抱え込んでいると言えますので、ベーコンだけが特別にどうとも言い切れず、ベーコンの人生を自分の問題として観察すると、新しい叡智を得られるかも知れません。

ベーコンが以上のようなイドラという概念を著述するに至った経緯は、いわゆるイギリス経験論というある種の研究法則を用いたことがあるわけですが、全ては実験的に経験してみないと分からない(下手な考え休むに似たり)という考え方は現代人の実践主義にも通じるものであるとも思えます。経験論的帰納法によって得られる見解のことを一般に知恵と呼ぶと私は理解していますが、そういう面に於いては、徹底した現実主義者であったベーコンから学べる点もあるように思えます。

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