モンテーニュ‐近代の始まり

東ローマ帝国の滅亡により、多くの亡命者がイタリアなどへわたったことで、ビザンチウムで蓄積された古典知識がヨーロッパに広く伝えられるようになったことが、近代の始まりと言われています。

それら古典知識はキリスト教がヨーロッパに広がる以前のもの、古代ギリシャ哲学に関するものが多く、中世ヨーロッパでキリスト教的な神の恩寵や奇跡を信じることをベースとした世界観が支配的であったのに対し、古代ギリシャ哲学では観察とそれに基づく思索、及び論理的帰結を重視したため、それがヨーロッパへ輸入されたことにより、近代合理主義の誕生に結びついたという見方が可能でしょうし、そう見ることが一般的ではないかとも思えます。

さて、そのような合理精神を追及したことで著名な人物としてモンテーニュの名前は真っ先にあげらるのではないかと思います。彼の態度は「懐疑主義」と呼ばれ、絶対的な価値観はこの世に存在せず、価値観や文化の違いは優劣ではなく差異に過ぎないと考え、絶対が存在しない以上、絶対的な宗教も存在せず、従って、宗教戦争には意味がないとの立場に立ちました。自分が絶対に正しいということは論理的にもあり得ないため、他者への寛容な精神が必要となり、一方で人間は主観でしか物事を感知することができない以上、その主観を、自分の責任の範囲で大切にするという、現代人の感覚から言ってもなかなか正しいと思える思索を展開しています。

モンテーニュはソクラテスの議論を重視し、ソクラテスがデルフォイの神殿に書かれた言葉である「汝自身を知れ」を自身の哲学的姿勢の基本方針にしていたことに照らし、モンテーニュは「私は何を知るか?」という言葉を用います。「私は何を知るか?」は、ソクラテスの「私は何も知らない‐無知の知」に対応しているとも言え、彼の古典ギリシャ哲学に対する深い理解を示すと同時に、それを自分の人生で実践したという態度は、敬意を払うに価するのではないかとも思えます。

私は『薔薇の名前』的な中世ヨーロッパが完全に無知蒙昧な社会であったとは思いませんし、近代ヨーロッパが完全に文明的に進歩した社会であると言い切ることもできないとも思いますが、少なくともモンテーニュが新しい叡智の時代を切り開く第一歩になったというようなことは言えるのではないかなあと思います。

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