反朱子学の面々2(国学)

江戸幕府の公式統治理論である朱子学には、山鹿素行のような反朱子学派が登場して反抗した他、朱子学が中国から輸入された儒教を基礎にしていることを理由に、日本固有の思想体系を見つけ出そうとする思想運動も起きています。国学と呼ばれる学問体系を追及した人々です。

その祖は真言宗の僧をしていた契沖とされており、契沖は日本の古典を研究することを提唱しましたが、私の個人的なうっすらとした記憶を辿れば、確かある種の国語学もやっていた人だったように思います。仏僧だった方ですが、仏教は外国から入ってきた教えなので、NGみたいなことを唱えていたようです。

契沖の影響を受けた人に僧侶ならぬ神主さんの稲田春満、その弟子に賀茂真淵が系譜に連なり、やがて本居宣長へとつながっていきます。

賀茂真淵は熱心に『万葉集』を研究し、その世界は日本男児の逞しさに満ちているとして、これを「ますらをぶり」と呼び、古今和歌集は外国の影響を受けてなよっとしておりけしからんとして、これを「たをやめぶり」と呼びました。

なんとなく、戦争中の日本男児は大和魂で生きて虜囚の辱めを受けずだ!という思想につながりかねない気もします。現代では万葉集を読む人はその情熱的な恋に心を動かされるとか、いわゆる古代ロマン、歴史ロマンみたいな視点から読むのだと思うのですが、賀茂真淵はもうちょっと違った視点を持っていたのかも知れません。

本居宣長は熱心に『古事記』を研究します。彼によると、古事記の神々の物語は情熱に満ちており、人間的かつ率直であり、誠の心が描かれていると考えました。江戸幕府がありがたがっている儒教や朱子学は理論体系化されてはいるものの、理屈によって装飾されており、人の心を正しく反映していないと考えたようです。

賀茂真淵や本居宣長の国学研究の是非はともかく、自然で真っすぐな人の心を重視する姿勢には一理あるというか、耳を傾けるべき部分もあるのではないかとも思えます。

最後に平田篤胤ですが、私のうっすらとした記憶を辿ると、臨死体験の研究みたいなことをしていた人で、超自然的なもの、オカルト風のものにも関心が強かった人ではなかったかと思います。天皇の絶対的な神聖さを説き、人が死んだら大国主命のいる冥界に行くのだという思想には天皇を中心とした形而上学の構築を目指していたようにも思え、それはそれでおもしろいかも知れません。個人的には臨死体験の研究の方に関心が向いてしまいます。

江戸時代、正式な朱子学理論に対抗して、反主流の人、忘れられた人の思想も勃興してきたところはなかなか興味深いことのように思えます。

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