反朱子学の面々

江戸時代の公式統治理論であった朱子学に対しての反論も存在しました。江戸時代は平和な上に知識水準もかなり上がっていたようなので、日本版百家争鳴みたいな感じになってきていたと言えるかも知れません。

その最もよく取り上げられる例は山鹿素行ではないかとも思えます。山鹿素行は『正教要録』で朱子学はきれいごとで表面で固めていて、人間性を無視していると批判しました。これがもとで江戸幕府は山鹿素行の追放を決意し、山鹿素行は赤穂藩に流されます。赤穂藩では浅野長矩に影響を与えた可能性も指摘されており、浅野長矩が江戸城松の廊下で吉良上野介に「遺恨がある」として殺意を持って斬りかかったこと、乱心を敢然否定し、正常な判断で殺意を持って犯行に及んだと主張したことの背景には、山鹿素行的人間主義の影響があったのかも知れません。また、浅野長矩については、女性を求めること「切なり」と評価している文献も残っているようですが、そのような欲望や感情に素直な行動に、山鹿素行の影響があったとすれば、それなりに辻褄が合うのではないかという気もしなくはありません。

山鹿素行の他、伊藤仁斎も著名な反朱子学の人として取り上げることができるかも知れません。伊藤仁斎は人を律することに熱心な朱子学には人間愛が欠けているとし、伊藤仁斎風の言い方をすれば「仁愛」が人間にとって最も大切なものだと考えました。それは人の過ちを赦し、他者を受け入れる寛容な愛であり、なんとなくキリスト教の教えのようにも思えますが、「仁愛」の発想は或いは墨家から啓示を得たのかも知れません。

最後に経世済民を唱えた荻生徂徠にも触れておきたいと思います。経世済民は経済の語源になったとも言えるものですが、荻生徂徠はリアリズム、実際的な政策論を考えたという言い方をしてもいいかも知れません。基本的には前例主義ですから、ことなかれ主義みたいに思えなくもありませんが、赤穂浪士に切腹を命じることを主張したことは現実的な治安維持をより重視したというあたり、やはりリアリストということだったのかも知れません。

江戸時代は思想家がぞくぞく登場していますので、そういう方面から理解を深めていくというのもなかなか面白いものではないかなあという気がします。

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