太平洋戦争では、台湾人も日本軍の軍人として、または軍属として日本軍に協力しています。いわゆる原住民と呼ばれる人たちは運動神経がすばらしく、南方のジャングルでは頼りになる戦力になったとも聞いたことがあります。
台湾人の一般男性を「徴兵」したのは昭和20年に入ってからのことで、主としてアメリカ軍が台湾に侵攻してきた場合に備えてのことでしたので、アメリカ軍の台湾への侵攻はありませんでしたから、その場合に於いての戦死者について議論する必要はあまりないかも知れません(ただ、台北にも空襲はありましたので、それによる被害について誰がどう補償するのか、みたいな議論はあり得るように思えます)。
ただ、それ以前から志願兵の募集はなされており、当時の台湾の若い人は日本軍の兵隊になれば外の世界を見ることができるという考えで応募する人が多く、競争率は大変高いものだったそうです。
台湾での徴兵がぎりぎりまで行われなかった理由としては、当時は兵役と参政権が不離不足の関係にあると考えられていたからで、この発想が女性参政権が戦後になるまで実現しなかったことの理由にもなるのですが「帝国議会」に台湾からの代表者がいない以上、徴兵するのは相矛盾するという発想から、徴兵がなされなかったものと理解しています。そのため、昭和20年に入って台湾の一般男性が軒並み徴兵される事態に突入すると、慌てて林献堂という台湾の超大金持ちの名士(林家は林爽文事件で財を成し、日本で台湾売却論が起きた時は買い取り費用の準備までした壮絶な大金持ちです)を勅撰議員に任命して、法理上の矛盾を解消しようとしています。ただし、直後に敗戦を迎えていますので、林献堂が帝国議会の議場に立つことはありませんでした。
さて、そうは言っても上に述べたように原住民の人たちが南方の戦線で活躍し、戦死している人もいます。他にも軍属の立場で通訳を務め、戦後のBC級裁判で捕虜虐待の罪に問われて刑死した人もいらっしゃいます。そういう方たちを「戦没者」として扱うかどうかでは随分といろいろな議論があるようです。
靖国神社では台湾人の戦没者も合祀されており、おそらく、ここは想像になりますが、BC級で裁かれた人も「法務死」という名目で合祀されているものと思います。
一方で、日本の敗戦により日本国籍から離脱してしまったために、いわゆる恩給が受け取れないと言うことで訴訟にもなっています。裁判所は不当な差別とは言えないとの結論を出しましたが、一方で政府からは人道的観点から弔慰金または見舞金が支払われました。
台湾の戦没者や戦傷者については、日華平和条約が日中国交回復によって無効にされてしまい、結果として個人補償が宙に浮いてしまった形となっており、とても気の毒なケースのように思えます。
太平洋戦争という未曽有の歴史的な出来事が関連していることや、日本が世界的にも稀にみる豊かな国になったことを考慮すると、できるだけ手厚くするという方向であってほしいものだと個人的には思います。