台湾近現代史19 漫画日米戦争

台湾が日本の領土だった時代、台湾通信社というところがあり、そこが『台湾』と題した定期刊行物を発行していたようです。台湾国立図書館のデータベースで検索してみると、「台湾通信社」というキーワードで600以上の記事が登場しますが、昭和の初期に刊行され、その後しばらく運動していたことが発行日の日付等から確認できます。台湾通信社について詳しいことは私も知らないのですが、昭和9年11月20日付の記事にちょっとおもしろいものを見つけました。

映画の上映会の宣伝なのですが「本社の台湾軍慰問映画会」とされています。台湾通信社(おそらくは国策会社)が台湾の日本軍の兵隊さんに楽しんでもらおうと映画会を企画したというわけです。場所は台北山砲隊に於いてと記されていますが、果たして台北山砲隊がどの辺にあったのかみたいなことはさっぱり分かりません。台北市内や周辺で山砲をぶっ放す必要性は多分なかったでしょうし、野戦の準備とかも別にしていなかったとは思いますが、満州事変以降、中国での戦争が常態化しようという時期でしたので、おそらくは台湾経由で上海へ行かされる兵隊さんもそれなりにいたのではないかなあと思います。この会社では満州軍慰問映画会も開いていたようなので、台湾軍であろうと満州軍であろうと関東軍であろうと上海派遣軍であろうと要するに日本陸軍ですから、おそらくは宣伝方面で陸軍に協力する目的を持った会社だったのだろうと推察できます。

で、上映会の映画の内容なのですが『松岡洋右氏演説、日本人なればこそ、漫画日米戦争』の音声映画となっており、随分と勇ましい内容のものであったであろうことが想像できます。個人的には漫画日米戦争というタイトルがやたらと気になります。一般的には昭和9年の段階では日本人がアメリカと戦争することは想定していなかったと考えられていると思いますし、政策決定のレベルに於いてはアメリカとの戦争は空想の段階に過ぎなかったに違いありません。「漫画日米戦争」の中身がどういうものかはさっぱり分かりませんけれど、映画という娯楽のレベル、そして多分に宣伝性を持つレベルに於いては漫画であれ何であれアメリカとの戦争が既に人々の念頭に浮かんでいたということの証左と言えるのではなかろうかと思います。

日本が国際連盟を脱退したのが昭和8年ですから、この上映会はその翌年のことになります。松岡洋右がアメリカとの対抗軸を作るためにドイツやソ連との連携・同盟の可能性を探っていた時期にあたりますから、こういう上映会をするのにも冷静な目で見れば宣伝戦略が行われていたと見ることができますし、もうちょっと感情的な言葉を用いるとすれば、ずいぶんと焦っている様子を感じることもできると言えるかも知れません。

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