台湾近現代史番外 蘭芳共和国

アメリカが独立するよりも少し前の時代、18世紀後半に客家人がボルネオ島に共和国を作っていたというのを最近知りました。台湾とは直接関係のないことですが、大変興味深いので私の知り得た範囲で備忘のために書きたいと思います。

オランダ東インド会社がボルネオ島に中国人のクーリーを大勢送り込み、奴隷労働させていましたが、その人口が膨れ上がり、一大勢力になったようです。広東地方から私兵も輸入し力をつけた華人社会は地元のスルタンからもその力を認められ、遂に治外法権の地を手に入れ、独立国家を営むに至ります。

建国者は羅芳伯という人物で、なんと天地会の会員であり、客家人商人でもあり、蘭芳公司の総帥でもあった人物で、初代大統領(華人社会では大唐総長と呼んだらしいです)に就任します。細かな政治体制などは分かりませんが、官僚は公選で選ばれていたらしく、大統領に関しては羅芳伯が亡くなる前に次の人物を指名したということらしいので、或いは大統領に限っては禅譲制が慣例化していたのではないかとも想像できます。世襲ではないという意味ではやはり共和制と言えます。100年以上に渡って国家が続いていたということですので、充分に記憶される価値のある共和国と思います。共和制としては東アジアではぶっちぎりで最初の国家であり、成立年が1777年ということですからよくよく考えてみるとフランス革命よりも先であり、近代共和制としては最初期の部類に入ると言ってもいいかも知れません。

また、呉元盛という華人がポンティアナック付近のスルタンを打倒してそこに四代70年にわたる国家を建設したとのことで、非常に勢いがあったことが推察できます。

清仏戦争で清が海外の華人に注意を払うことができなくなった時期、オランダ人によって1884年に占領されたということらしいので、祖国とのチャンネルがあった上で蘭芳共和国が存立していたことも推察できますが、実際にオランダ人がその地域を占領したことを正式に発表したのは辛亥革命の後ということらしく、それまで当面の間は傀儡政権が維持されていたとのことです。相当に複雑です。現地で蘭芳共和国に関する資料はほぼ皆無ということらしいので、或いは広東なり福建あたり、もしくは台湾あたりに関連史料が残っているかも知れません。想像です。

当該の地で暮らしていた華人の多くがその後マレー半島に移住したとのことですので、まさしくシンガポールがその後継国家であると言っていいのかも知れません。

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