台湾近現代史11 林爽文事件‐秘密結社

清朝による台湾統治が行われていた時代、台湾には天地会と呼ばれる秘密結社があり、清朝を打倒し明朝を復活させることをその理念としていました。満州族による支配を終わらせ、漢民族の国家を願うもので、台湾という土地柄上、現代に通じるものを感じさせます。

林爽文という人物が天地会の領袖をしていた時に、反乱が起き、これは林爽文事件と呼ばれています。事件の発端は1787年に林爽文の叔父が清朝から台湾に派遣された官吏によって逮捕されたことに始まります。林爽文は大軍を集めて挙兵し、台湾府知府の孫景燧を殺害し、更に戦線を拡大させて各地の官吏を襲撃します。林爽文の挙兵を受け、莊大田が決起し、争乱は更に大規模で本格的なものへと発展していきます。

清朝からは討伐軍が送られますが、双方対峙し、決着に至りません。この対峙している期間、林爽文と荘大田が福建の漳州の系統の人物であり、漳州人と泉州人との抗争が以前から生じていたため、相当な泉州人が殺されたと言われています。また、広州系と福建系の対立もあり、客家人も巻き込んで相当なことがちょっと書くのが憚れる事態も起きたようです。

それはそうとして、清朝から大規模な増援が出され、これによって勝敗がはっきりとしてきます。各地で戦闘が行われましたが、林爽文は生け捕りにされ、女性の親族は奴隷になり、15歳以下の男子の親族は北京に送られて去勢されたと伝わっています。成年に達した男性の親族について私には情報がありませんが、多分、以上の流れから行けば殺されたと推測するのが妥当にように思えます。林爽文は凌遅刑にされたということです。荘大田も生け捕りになり、彼は台湾で殺され、首が北京に送られたといわれます。

この事件の後、林爽文の率いていた秘密結社である天地会は本拠を中国大陸に移し、その一部が洪門と呼ばれる結社をなすようになり、後に孫文など中国近現代史に強い影響を与えた人物たちが結社に参加していくようになります。漢民族国家を作るとする辛亥革命の本質のようなもの、日本ではあまり語られない脈々と伝えられた洪門の起源に林爽文事件があるというのは大変に興味深いことで、たとえば明治維新の裏側には島津と毛利の関ケ原の戦い以来の恨みがあったのと同じようなものを感じさせます。

この事件では、戦乱による物価の急騰が起き、それを契機に板橋林家と呼ばれる今日まで続く大富豪が財を成したことも知られています。

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