『風の谷のナウシカ』を学生に観せた話‐ナウシカの涙

学期の途中、私が担当させてもらっている幾つかのコマでは、映画を観る機会を設けるようにしています。講義内容に合うかどうかはあんまり考えず、半分は学生へのサービスのつもりで、残りの半分は自分が楽しみたいという理由でそういう時間をもうけるようにしています。よくみせるのは『かもめ食堂』ですが、その次によくみせるのは『風の谷のナウシカ』です。

自宅でみるときはノートPCのスクリーンでDVDで観るのですが、大学で学生と一緒に観るときはちょっとしたシネコン並みの雰囲気で観ることができますので、やはり感じ取れるものにかなり違いが出てくるように思います。

なんと言っても世界の名作『風の谷のナウシカ』ですから、学生も水を打ったような静けさでスクリーンに注目します。私の力量ではなく一重にナウシカ大明神のおかげなのですが、学生が集中したくなるものを提供できているという満足感も個人的には得られます。

ナウシカではライフル、短銃、刀剣と戦車で戦争しますから、ミリオタ的にも満足で「ああ、ナウシカは壮大なる戦争映画だったのだ」と言わずもがななことに改めて気づかされます。トルメキアが風の谷を占領する様子をみるとナチスドイツがロシアやウクライナの村々を占領する姿が目に浮かび、ナウシカが気を失っている時に夢に見た過去の記憶、ナウシカが密かに育てていたオームの幼生を取り上げられる場面の無数の大人の手には資本主義の搾取と言う言葉が頭に浮かび、谷の民が蜂起する場面ではレジスタンス、または社会主義革命というような言葉が頭に浮かびます。ドラマチックです。あまりにドラマチックです。そのような場面が連続して登場し、感動しまくりですので、終わった後鏡を見たら顔が真っ赤になっていました。感激で頭に血が上っていたのです。

宮崎駿さんがまだジブリを背負い始める前の作品、どうせ儲からないことを覚悟で徳間書店がリスクを負った作品です。その後の作品のような売らんかながなく、宮崎さんが描きたいもの、美少女、飛行機、戦車、戦争、共産革命がぎっしりと詰まっています。ザ・20世紀です。

私が今回初めて気づいたのは、流砂に埋もれてナウシカとアスベルが瘴気のない清浄な空間へと落ちた後、アスベルがナウシカに「泣いてるの?」と尋ねるシーンでナウシカの目に本当に涙が浮かんでいたことです。今まで何十回もみたにもかかわらず、ナウシカの涙が確認できず、なんとなく不可解だったのですが、涙がちゃんと浮かんでいるということにようやく気づきました。これに気づくと乗数効果的に感動が増すように思えますし、物語の展開が速いにもかかわらず、アスベルとナウシカが二人で地下空間で過ごす時間をやたらとっていることに、淡いながらも「恋」という要素がしっかり入れられてあることにも注目や考察を加えたいような気にもなるのでした。

残念ながら映画が終わる前に講義時間が終わってしまい(それは毎回そうなのですが)、だいたいクロトワの「腐ってやがる早すぎたんだ」あたりで時間終了なのですが、学生たちは何を考えているのか、最後まで観たいと思っているのか、どうでもいいと思っているのか、実は寸止めみたいになってフラストレーションを抱えるはめになっているのか、いちいち聞かないので分からないまま、今学期の映画タイムも終わったのでした。


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