台湾近現代史5 鄭芝龍

中国の福建省で生まれた鄭芝龍は十代で父を亡くし、マカオの叔父を頼るようになり、マカオで商売を学んだほか、宣教師からカトリックの洗礼を受けています。その後、李旦という豪商に使えるようになり、日本、中国、台湾、その他東南アジアとの貿易に関わる関係で李旦について平戸で暮らすようになり、李旦の死後、鄭芝龍は平戸の中国系商人のトップに立ちます。平戸の地で平戸藩士の娘のマツと知り合い、二人の間に鄭成功が生まれます。鄭成功は幼少期を平戸で過ごしますが、後に父と共に中国へ渡ることになります。

当時の貿易商と言っても半分は海賊みたいなものですから、鄭芝龍は貿易+海賊業でそれなりの軍事力を持つ存在に成長し莫大な富を得ていたといいます。李自成の乱で明が滅亡し、清が政権を打ち立てると、明朝は各地で亡命政権を打ち立て、独自の皇帝を擁立するなどをしていきます。鄭芝龍も明朝の復活を期して明朝に仕え、オランダ東インド会社のハンス・プットマンスに相当な被害を与えたとされています。ですがやがて清朝からの降伏勧告を受け入れ、清に服従するようになります。

一方、息子の鄭成功は飽くまでも明朝の臣下として振る舞い、清朝も手を焼いたことから鄭芝龍に鄭成功の説得を命じますが、息子は頑として応じず、台湾で勢力を伸ばし続けたこともあり、鄭芝龍は北京で斬首されるという顛末を迎えてしまいます。

鄭芝龍は弘光帝に使え、弘光帝が清朝に捉えられると降武帝に使えるのですが、隆武帝の元に行ったあたりからその他の明の遺臣との関係が複雑なものになっており、清朝に乗り換えたようです。乗り換えた先で殺されるのですので、仕える先を乗り換えるのには相当なリスクがあるというのは現代にも通じる教訓かも知れません。

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