福田康夫内閣‐大連立構想

第一次安倍晋三内閣が総辞職すると、自民党の後継総裁に福田康夫が勝利し、福田康夫内閣が登場します。福田康夫さんは元々政治家になるつもりのなかった人で、50歳を過ぎてから突如福田赴夫の後継者として政治家になった人ですが、小泉純一郎政権で官房長官を担当し、突如辞任したことから、総理大臣候補として取り沙汰されるようになっていきます。

安倍晋三さんが首相になる際にも福田待望論は起きたのか起こしたのか何とも言えませんが、いずれにせよそれまでとは違った路線を打ち出そうとしていたように見受けられます。自身の任期中に衆議院選挙もあり得るという状況だったため、その辺りのプレッシャーは強かったかも知れません。

参議院では民主党が圧倒的だったため、ねじれを解消する目的で民主党党首の小沢一郎と大連立構想をまとめようとします。一旦話はまとまったものの、民主党内部から猛反発が起き、小沢一郎は大連立を断念。電話で福田さんに断念する旨を伝えたと言われています。

小沢一郎は民主党内部が自民党との連立に大反対だったことを受け「自分への不信任だとみなす」として代表辞任を表明しますが、鳩山由紀夫らの懸命な説得で留任を表明します。徳川慶喜ばりの瀬戸際交渉とも言えますが、過去に竹下金丸が小沢一郎をさんざん説得しても首相を受けなかったことを考えると、鳩山由紀夫の説得を受け入れた分、小沢一郎は丸くなったということもできるかも知れません。

福田康夫は内閣を改造し、この改造内閣で総選挙に臨む可能性もありましたが、改造後一か月ほどで総辞職を表明します。果たして福田内閣は何だったのかという疑問は残らなくもありませんが、小泉政権でかくも強さを見せつけていた自民党が小沢民主党にかなり圧迫されるようになり、自分の手では解散総選挙は打てないという考えが福田さんにはあったのかも知れません。

衆議院の任期満了が近づく中、政権は麻生太郎に譲られます。麻生太郎は選挙をさせられた首相みたいに言えるかも知れません。


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