台湾近現代史2 オランダ東インド会社

歴史上、初めて台湾を征服支配したのはオランダ東インド会社であったと言われています。明朝時代に澎湖島を拠点とし、その後、台湾本島に勢力圏を広げ、主として台南を中心とした広いエリアを支配しています。また、台湾北部はスペインの勢力下になった時期があり、原住民の大肚王国とオランダとで台湾三分された時期がありましたが、オランダ側がスペイン勢力を締め出しています。大肚王国は清朝に征服されるまで続いたようです。

時代は17世紀前半で、大航海時代としては少し後の方、イギリスの大帝国主義が始まる少し手前の時代と言えます。オランダは日本の江戸幕府との独占的な通商の権利を獲得することにも成功しており、当時はオランダの一人勝ちとも言えますが、当時の強国だったスペインはフェリペ二世の時代に散財して無敵艦隊を建造し、イングランド制服に向かわせたもののエリザベス女王から返り討ちにあっており、スペインはその全盛期を失おうとしていた時期です。また、イギリス東インド会社も極東への進出を図ってはいましたが、インドネシアのアンボイナ地方でイギリス商館の人員がオランダ人によって皆殺しにされるというアンボイナ事件が起きており、当時のイギリスには極東まで行く余力が失われていたと見ることもできます。フランスが本格的な帝国主義を発揮するのはナポレオン三世の時代ですので、まだまだ後の時代になります。そのように見るとヨーロッパの力関係が東洋にも影響していたことが見えてきます。イギリス、フランス、スペインの力及ばないエリアが空白となってオランダが入ったという図式です。ついでに言うとアメリカが出てくるのもまだまだ先の話です。

オランダ東インド会社は漢民族や原住民を奴隷として使役したことがわかっており、浜田弥兵衛事件かかわったノイツが台湾行政長官をしていた時代には原住民によるオランダ人殺害事件が起き、ノイツの後任のプットマンが原住民の村を焼き討ちし、服従を誓わせ、フォルモサ血の血税と呼ばれる奴隷制度を敷いたことも知られています。

オランダ人は台南を拠点とし、長崎とインドネシアを結ぶ中継地点としての役割を果たしますが、やがて明の遺臣である鄭成功の攻撃を受け、台湾からの撤退を余儀なくされます。


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