田中角栄内閣‐日中国交正常化と暗転

佐藤栄作の派閥議員を大方抱き込んで田中角栄は田中派を旗揚げします。佐藤栄作は後継総裁に福田赴夫を推していましたが、福田を破り、田中角栄内閣が登場します。三角大福中時代の始まりであり、角福戦争の始まりでもあります。

田中角栄は戦争中からその才覚を発揮し、朝鮮半島に軍需工場を建てる計画(敗戦でとん挫)から巨額の富を得て、金満政治家として政界で頭角を表し吉田茂の側近とも言われていきますが、同時にその人間性に惚れた人も多かったと巷で言われています。ただ、どんな風に豊かな人間性を持っていたのか、少なくとも今残っている動画や写真からは推し量り難いものがあり、実際に会った人ではないと分からなかった部分もあったのかも知れません。

ある時、東京の椿山荘で田中角栄がスピーチをすると、いかにも良家のお嬢様という感じの方が角栄に花束を贈呈した際、角栄はお嬢様にポケットから一万円札を取り出して握らせようとし、公衆の面前でお金を受け取ることに躊躇していたお嬢様は角栄の顔を潰すわけにもいかないので渋々受け取ったというエピソードがあるそうです。その時、周囲の人から「お嬢様が困っていたじゃないですか」と言われ「君ね、お金をもらって嬉しくない人間はいないんだ」と反論したと言います。

私はこのエピソードに田中角栄という人物のいろいろなものが詰まっているように思えてなりません。おそらく田中角栄はこの時、感激したんだと思います。華やぐように美しく、かつ清楚で身ぎれいな良家のお嬢様がわざわざ自分に花束を届けてくれたということに感動したんだと思います。そして、その感激と感謝の気持ちを即座に表したいと思って彼の頭に浮かんだのはお札を渡すことだったのです。

どこまで言ってもお金の人とも言えますし、良家のお嬢様に感激する素朴さに私は心が打たれる部分もありますが、田中角栄の限界が見える気がしないわけでもありません。

佐藤栄作と福田赴夫を倒して首相の座についた田中角栄は、日中国交正常化という大仕事を成し遂げます。結果として台湾が完全につまはじきにされることにもなりますので、良かったのか悪かったのかはもう少し後世にならないと、少なくとも中国と台湾の間で話がつかないことには判断しかねるようにも思えます。

その後、文芸春秋に『田中角栄研究』が掲載され、田中金脈政治が世に問われることになり、激しい批判の中で田中角栄内閣は総辞職する展開に至ります。当時、新聞記者たちは田中角栄のお金をばら撒く政治首相をよく知っており、知っているけど、書くほどのことではないと思って書かなかったのだと言われます。いわゆる記者クラブと政治がどういう関係にあったかが推察できるエピソードであったとも言えます。

その後の政治の世界は首相返り咲きを狙う田中角栄と、後に首相になってやはり返り咲きの好機を伺う角福戦争の文脈で語られるようになっていきます。

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