佐藤栄作内閣‐沖縄返還と非核三原則と黒い霧

池田勇人首相は病床に倒れた後、後継首相としてはそれまでいろいろと尽くしてくれた河野一郎を望んでいたようなのですが、自民党の重鎮たちが「エスタブリッシュメントでなければだめだ」という意見を強く持っており、妥協して総裁選挙で次点だった佐藤栄作が指名され、佐藤栄作内閣が登場します。想像ですが池田勇人首相の心中には「佐藤にだけはやらせたくない」という男同士の感情的なぶつかり合いがあったのではないかという気がしてしまいます。

その佐藤栄作ですが、政権は七年半余りの長期に及び、かくたる積極的な政治姿勢はなかったとも言われますが、期間が長かっただけに沖縄返還、非核三原則、日韓基本条約とやった仕事はいろいろあります。

また、政界では金脈に関わる不祥事が続き、黒い霧事件とも呼ばれましたが、経済がほうっておいても良くなっていくような時代でしたので、衆議院の総選挙でも自民党は安定多数を確保し、佐藤政権は命脈を保ちます。戦前、斎藤実内閣が帝人事件の疑惑だけで総辞職に追い込まれたのはえらい違いです。戦前の内閣が天皇や元老、枢密院の下僕でなくてはならなかったのに対して、戦後の内閣が強靭なものに変化したのだということが分かります。

佐藤栄作内閣の時代、最も記憶されるべきは沖縄返還ではないかと個人的には思います。当時の沖縄には行政主席をトップとする琉球政府があり、立法院もあり、それをアメリカが関節支配するという状況でしたが、アメリカ軍の素行はすこぶる悪いものだったらしく、コザ暴動など沖縄の人の反基地感情はかなり高まっていたようです。

当時まだベトナム戦争をやる気まんまんだったアメリカに対し、基地機能だけは温存するという条件で「本土並み」の返還は実現したことは私個人としては良かったと思っていますが、基地が完全に撤廃されなかったことは現代にいたるまでしこりを残しており、簡単には結論できないほか、密約の存在を取材で掴みながら社会党に情報を横流しして国会で質問させる西山事件のような副作用も起こしています。

西山事件に関しては、私には西山記者個人に結構問題があるような気もしますが、そういうすったもんだも含んでいわゆる「沖縄問題」とも言えるのかも知れません。

沖縄返還の時には佐藤は前人未踏の四選を果たしていましたが、沖縄返還花道論が強まり、かの田中角栄が佐藤派の議員の大半を引き連れて田中派を旗揚げし、三角大福中の中で首相の座に一番のりを果たします。

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