片山哲内閣・芦田均‐挙国一致?内閣

吉田茂が衆議院選挙の結果を受けて退陣したことを受け、議会で過半数は得ていなかったものの、第一党に躍り出た日本社会党の片山哲委員長が首相に指名されます。少数政党による政策運営の停滞を危惧した片山は民主党の力を得、最終的には挙国一内閣を目指していきます。

ところが、自由党の大野伴睦らが「社会党左派がモスクワとつながっている」として入閣に拒否。大野はやむを得ず、親任式には一人で登場するという前代未聞の一人内閣が登場します。議会では信任を得ていると言っていいのに大臣のなり手がいないというのはまさしく永田町複雑怪奇の見本のような様相を呈していたとも言えるでしょう。

初の無産政党の首相として、社会主義的改革を推し進めようとしますが、かえって反発を招き、政策は思うように進まなくなってしまいます。民主党の幣原喜重郎が造反したほか、社会党左派も「生ぬるい」言い捨てるが如き有様で片山哲を見棄てて行きます。それらの収集に右往左往していることが国民にも報道され、万事休すを悟った片山は辞表を提出するに至ります。

後継首相は同じ政党間の枠組みを引き継ぐ形で芦田均が首班主命されますが、当事者能力がほぼないと自他ともに認める形での早期の退陣ということになってしまいます。芦田政権では昭和電工事件など、わりとベタな政治と金の問題が表面化したことが最後の背中を押した部分がありますが、憲政が新しくなったばかりの時代からこその混乱という部分もあったのかも知れません。

芦田の次は、本格内閣として吉田茂が再登板し、長期政権を作り上げていくことになります。

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