東久邇宮稔彦王内閣-敗戦処理をとりあえずなんとかする

昭和天皇のポツダム宣言受諾のラジオ放送により戦争を終わらせた鈴木貫太郎内閣は、これで自分の仕事が終わったとして8月17日に総辞職し、その後継首相として日本の憲政史上の唯一の皇族首班である東久邇宮稔彦王内閣が登場します。

戦争指導のための権威づけとして皇族首相の登場はそれ以前にも何度か取り沙汰されましたが、失政の責任を負わされることへの危惧から皇族首相は忌避される傾向にありましたが、終戦処理は戦争遂行よりも難しいという面もあるので、ここはやはり、皇族首相をという面もあり、また戦争に敗けた後なので、敗戦責任も関係ないので、皇族首相の登場という展開を見せます。

実質的な政務は近衛文麿に任せ、細かい面倒なことは緒方竹虎に任せるという形の宮様首相でしたが、各地の日本軍の武装解除が穏やかに進行したことはこの内閣の功績と見ることができるのではないかと思います。

一方で、戦争の責任は一億の国民全てにあるとする「一億総懺悔」が物議を呼びます。即ち、戦争の責任は国の指導者(場合によっては天皇)にあるはずなのに、国民全員に責任があるとはどういうことだという強い反発も呼んだようです。

私個人は仮にも議会政治が存在した国で国民に責任がないというのは通らないと思いますしので、ある程度、全員にそれなりに責任があると思っています。当時はまだ女性参政権がありませんでしたから、女性には責任がない、または投票権のない子どもには責任がないという意見があるとすれば、それはその通りだと思います。

いずれにせよ、東久邇宮稔彦王内閣は54日の短期間で総辞職を選びます。GHQから自由主義的改革が求められ、見方によっては社会主義的な改革も含まれており、一歩間違えば内閣は立ち往生、ましてや宮様首相ですので共産主義革命に巻き込まれてはやばいという判断が働いたようです。当時はまだ昭和天皇の処遇もはっきりとはしておらず、アメリカには昭和天皇処刑論も世論の三割に達しており、天皇制の維持についても微妙な時期ですので、宮様首相が失政ということになればそういう微妙な問題に飛び火しかねないという感じもありましたので、確かに君子危うきに近寄らずは正しい判断だったかも知れません。イタリアでは王制について国民投票で否決され共和制になりましたが、その時王位継承者の人気不人気みたいなところで決まった部分もあるので、流動しやすい世論に皇室が巻き込まれるのは確かにちょっと微妙な議論を呼ぶことではないかと思います。

東久邇宮稔彦王内閣の総辞職後は、幣原喜重郎が後継首相となり、現代まで続く平和憲法が作られていくことになります。




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