小磯国昭内閣‐幻の日中和平工作

サイパン島の陥落の責任を取る形で東条英機内閣が総辞職し、西園寺公望亡き後、首相指名の機能を担っていた重臣会議は小磯国昭を後継首相として指名します。小磯は出身母体が陸軍ですが、現役を退いて長いため戦争の実態に疎く、米内光政を副首相として補佐させるという条件での首相就任です。

明らかに「あんまりイニシアチブをとらなさそうな人」を選んでいるフシがあり、実際の政治を近衛文麿あたりが仕切って、小磯は責任を取るためだけの傀儡であった可能性が高いようにも思えます。小磯政権期に近衛上奏文も出されています。

小磯国昭の方針は「敵に一撃を与えて講和」を目指すもので、その一環としてレイテ島での決戦が模索されます。フィリピンが陥落すればインドネシアから日本まで石油を送るシーレーンを失うため、日本は戦争の継続が不可能となるため、連合艦隊も残存空母を囮にしてアメリカの航空戦力をレイテ島から引き離し、レイテ沖で裸同然のアメリカ軍に戦艦大和と武蔵が巨大な大砲で好き放題砲撃するという作戦に乗り出します。レイテ沖海戦ではほぼ連合艦隊の目論見通りに戦況が推移しますが、敵の目前きた戦艦大和が謎の反転をすることで完全に空振りに終わります。この作戦では空母は全滅。武蔵も撃沈され、連合艦隊はその後組織的な作戦行動ができなくなるほどの痛手を負いました。

以前、大和の乗員だった人のインタビューを見たことがありますが、敵の補助空母艦隊を発見し、圧倒的な彼我兵力差で、これはバンバン撃ち込めば勝てるという印象を得たそうですが、半端な戦闘した後に「目標はレイテだから」ということで、それら敵艦隊を攻撃目標から外し、レイテに行くのかなあと思ったら反転してしまったということでした。不可解としか言いようがありません。

アメリカ側の戦記物ドキュメンタリーでこの海戦を扱っているものがあり、アメリカ軍は未曾有の危機に陥ったものの、反撃を恐れたバトルシップ大和が退却したためにことなきを得たという説明になっていましたので、当該の小規模な海戦があったことはほぼ間違いなさそうですが、大和の反転については「反転命令があった」というまことしやかな嘘がまかり通っており(私はそんな命令はなかったと思います)、知れば知るほどがっくりきます。私の祖父は戦艦武蔵の乗員で、90パーセント以上が戦死した中生還しており、呉で終戦を迎えています。広島の原子爆弾のきのこ雲も見たでしょうから、なかなか壮絶な戦歴です。

それはそうとして、1945年3月中国から一人の男が和平の使者と称して東京を訪問します。繆斌(びゅうひん)という人物で、蒋介石政権が満州国を承認し、日本がそれ以外の中国全土から撤退することで日中和平という提案だったと言われていますが、この時期になると東京大空襲も行われており、日本の敗色は濃厚で、蒋介石の国書も持たないこの人物が本当に正式な使者であったかどうかは相当程度に疑わしく、重光葵は相手にするなと反発します。小磯国昭はそれでも繆斌和平工作に懸けようとしますが、昭和天皇から不興を買い、この和平工作の失敗を受けて小磯内閣は総辞職するという展開になります。ちなみに繆斌は終戦直後に日本に内通しようとした罪で銃殺されています。

私には繆斌がホンモノの使者であったのか、それともある種の利権漁りの延長みたいな人物だったのかを断定するだけの材料はありませんが、飽くまでも想像ですけれど、繆斌は汪兆銘の政府に参加していた人物ですので、戦後の身の処し方を考えて、嘘でもでっち上げでも「そんなはずでは」になるにしても、日本との和平話を進めることで得点を上げて戦後の身の安定を図ったのではなかろうかと思えます。そういう意味ではあんまり乗れる話ではなかったかも知れません。

そうは言ってもその後日本はスターリンに和平の仲介を頼むという、実現性があるとは到底思えない策に出ますので、どっこいどっこいというか、或いは命運尽きるとそういう胡散臭い話しか集まって来ないということを示しているのか、いずれにせよ繰り返しになりますががっくりすることばかりです。

小磯政権の後は、昭和天皇が直々に鈴木貫太郎に依頼し、終戦を使命とする内閣が登場することになります。




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