犬養毅内閣‐最後の政党政治

民政党の若槻礼次郎が満州事変の時局収拾のための挙国一致内閣を作ることを断念し総辞職したことから、西園寺公望は憲政の常道にのっとって野党第一党の政友会の総裁である犬養毅を首相に指名します。犬養毅は首相に就任すると衆議院の解散総選挙を行い、政友会は議席を大きく伸ばします。当時はどうも「与党」に人気が集まりやすい傾向があったのかも知れません。

犬養毅は満州問題について、主権は蒋介石の国民党にあることを認めつつ、実質上は日本が支配するというプランを持っていたようですが、それが軍部からの反発を招きます。私個人としては軍部は一体何をしたいのか、終わりなき拡張主義に首を傾げざるを得ません。

犬養毅は野党時代、ロンドン軍縮条約に反対しており、これははっきり言えば政権を論難するための議論の議論のようなもので、政治家が外国と軍縮について決めるというのは天皇の統帥権の干犯で憲法違反だという論陣を張ります。「統帥権」さえ持ち出せば、政治家は軍に介入できないという議論の構成を「アリ」にしてしまった意味で、犬養の責任は重いように思えます。

満州問題の穏健な収集路線が軍から反発を受けていたほか、ロンドン軍縮条約に反発する海軍の将校が、若槻礼次郎を狙うつもりが若槻内閣が倒れて犬養内閣になったことで、拳を振り下ろす先を失くししまった感があったものの、それでも犬養をヤレという勢いで5.15事件を起こします。犬養はロンドン軍縮条約に反対でしたから、海軍にとっては味方してくれる政治家の筈ですが、条約を破棄するわけでもなく、そのまま行きそうだったので、ヤッたということは議論の筋道としては分からなくもありませんが、そもそもロンドン軍縮条約は日本の要求をほぼ満たしており、それでも殺したいほど不満に持つというのは、理解不能というか、軍部の突出したいという勢いが止まらなくなったというか、この時期のころから、軍部の独裁国家を作りたいという一部の関係者の願望が実現化しようとしていた、おかしな時代に見えてしかたがありません。知れば知るほど暗い気分になってきてしまいます。

犬養毅には森格という側近がいて、犬養曰く「森は危険すぎるから手元においた(野放しにすると何をするかわからない)」ということらしいのですが、5.15事件では森が軍人を手引きしたという噂が流れ、なんともきな臭い、こんなところにフィクサーが隠れていたのかと思うと、愕然とするというよりも、その手のフィクサー気取りがあちこちにごろごろいて、追放しても追放しても出てきますので、もう、日本の運命は滅亡するところまで突っ走る以外に道はなかったのかも知れません。暗いなあ。実に暗い…。

犬養政権後の後継首相選びでは軍が強気で、政友会も対外強硬派の首相を出したがっており、西園寺はとりあえず、八方収めるために海軍出身だが穏健派と見られた斎藤実を後継首相として推薦します。西園寺の心中には自分の理想とする政党政治の在り方と、実際の政党人の在り方の乖離が激しすぎて絶望的なものがあったのではないかという気がします。これで政党政治は実質的に終了し、後はもう無理難題が押し通って後戻りできない滅亡への一方通行へと入って行ってしまいます。

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