量子論とテレポーテーション

21世紀の今日、量子技術は我々の生活とは切っても切れない存在です。パソコンの集積回路から何から先端技術には量子論が応用されているそうです。

さて、その量子論で行くと、ちょっと無理無理な感じはあるものの、テレポーテーションが可能になるそうです。量子の世界では粒子と粒子がある種の兄弟関係のような密接な状態になると、互いにコピーし合い、一旦関係性が構築されると、どんなに離れてもコピーし合う関係性は維持されるという性質があるのを応用するのだそうです。

ある実験で、光の粒子を取り出して何十キロか離れた島に持っていきます。兄弟関係のあるもう一つの粒子は実験本部みたいなところに於いておきます。何をどうするのかは知らないのですが、実験本部の粒子を変質させると、同時に何十キロから離れた粒子も変質するということが分かり、アインシュタインが「なわけねーだろ」と言っていた量子の世界が存在することがはっきりしたということらしいのです。

では、粒子の兄弟関係を利用したテレポーテーションとはどのようなものなのかというと、兄弟関係のある粒子が地点Aと地点Bに配置された場合、移動させたい物体Xを地点Aで粒子と同化させると地点Bに原子レベルで完全に同じものが生成されるというのです。この時、地点Aにある物体は原子レベルで崩壊しますが、地点Bにはオリジナルと全く同じ、100パーセント同じものが誕生するので、結果としてテレポーテーションできたというわけです。

しかし、何かがもやもやして納得できません。仮にこの技術でMrスポックが地点Aから地点Bへとテレポーテーションした場合、確かに地点Bには完全なMrスポックが登場します。完全に同じ100パーセントMrスポックですので、それをMrスポックではないと言い張ることは不可能です。しかし、地点AのMrスポックは崩壊しており、もうちょっとはっきり言うと地点AのMrスポックは死んでしまい、地点Bに完全なMrスポックが誕生したということになります。

ドラえもんのどこでもドアのようなもので瞬間移動した場合、ドアをくぐる前ののび太としずかちゃんは死んでおり、ドアの向こう側に完全な、思考回路も記憶も100パーセント同じのび太としずかちゃんがこの世に誕生するということになります。もし、自分だったらどうでしょうか。地点Aにいる「私」は死に、地点Bに100パーセント完全な私が登場した場合、地点のBの私は本当に「私」なのでしょうか?量子論で行けば地点Bの私は完全にオリジナルです。しかし、地点Aの私は死んでいるのです。その時、私は生きているのでしょうか?それとも死んでしまったのでしょうか?

ここはもはや哲学の問題かも知れません。「個」とは何かという問いかけにつながるかも知れません。仮に将来、この技術でテレポーテーションが現実化した場合、人は移動するごとに死と再生を繰り返すけれども、誰もそのことに気づかないという現象が起きるかも知れません。私なら怖くてテレポーテーションの技術を利用したくはありません。しかしながら一方で、「それはかつて写真を撮られると魂を抜かれると信じていた人たちと同じような妄言だ」という人も現れることでしょう。その時に周囲の同調圧力で「試しに」テレポーテーションしてしまうかも知れません。ちょっと想像すると怖いような…見たいような見たくないような…。という感じでしょうか。

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