三条実美暫定内閣



三条実美は第十四代将軍家茂に勅使として会見し、攘夷を督促するなど、幕末から政治とかかわっていた人で、そういう意味では筋金入りの歴史の証人みたいな人です。8月18日の政変で京都から追放された七卿落ちの一人で、歴史とがっぷり四つに組んで生きた人とも言えるかも知れません。そのわりに実際的な仕事をした形跡はあまり見当たらず、明治維新後に便宜的に活用された太政官制度で太政大臣を務めますが、岩倉具視の傀儡みたいな人でしたので、その辺りは若干気の毒にも思えます。残っている肖像写真も風采の上がらない感じです。

黒田清隆内閣が不祥事などで総辞職したとき、閣僚はそのまま残り、黒田清隆の辞表だけが受理され、三条実美が総理大臣に任命されますが、総理大臣の座にあった二か月間、特に何かをしたというわけでもないようで、時代は山県有朋内閣へと移っていきます。

ただ、私が感心するのはこの人が常に歴史と隣り合わせで生きていたということで、そういう意味では稀有な人だったのではないかと思います。自分で何かをするということは事実上一切なかったにもかかわらず、将軍家茂に会い、七卿落ちを経験し、坂本龍馬や木戸孝允、西郷隆盛たちと意見交換をし、明治六年の政変も実際に自分の目で見て、その総仕上げが暫定総理です。何もせず、何も影響力を持たず、ただ言われるがままにあそこに座れと言われればそこに座り、こちらに座れと言われればそこに座るというただそれだけの人でしたが、見て来たものはその厚みが違います。何もしていないのに失脚したり、その逆もあったりと実に忙しいドラマチックな人生を送っています。

繰り返しになりますが、自分は何もしていないにもかかわらず、目の前にいる人たちが争ったり殺し合ったり密談したりしている様を、彼は映画を観るような心境で、映画がまだなかった時代ですが、それこそ絵巻物を見るような心境で見ていたのではないかという気がしてきます。間違いなく歴史にその名を遺すであろう維新創業の大物たちが自分の目の前で入れ代わり立ち代わりしていく様は、何とも言えない良くも悪くも壮絶な光景だったのではないかと思えます。

そうは言っても調整型の政治家であったらしく、新政府内部が揉めた際は調停に努めたというような話もありますので、意外と見えない底力のようなものを持っていた人なのかも知れません。温厚なお公家さんらしい性格の持ち主で、黒田清隆辞職という混乱期に「とりあえず三条実美」ということになったのも、それなりの声望があり人徳が認められていたという証かも知れません。なんといっても気づくと最長老クラスの政治経験を積んでいる人になっていたのも、明日をも知れぬ幕末維新でしっかり生き延びられるだけの「徳」のなせることかも知れません。



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