第一次世界大戦後からヒトラー台頭までの短い期間、ドイツでは「ドイツ表現主義」と呼ばれる新しい映画の波が来ています。その中で特に『カリガリ博士』がよく知られていて、他に『M』という作品もあります。『M』はわりとリアリティを追及している感じで、幻想的な非現実的な世界を創造しようとした『カリガリ博士』とは随分と雰囲気が違います。また『M』の場合は当時のワイマール憲法の精神を呈していると考えられるのですが、ポリティカルコレクトネスを強く意識しています。『カリガリ博士』の場合は当初の脚本ではそのような要素があったらしいのですが、監督が制作する段階で、そういうものをなるべく排除し、サイコサスペンスのような作品づくりになっています。
登場する街や建物は不自然に曲がっていたり、窓が三角だったりすることによって不思議な世界観が作り出されていますが、私はこの映画をみてカフカの『城』を連想しました。この作品では主人公が招聘された「城」の中で右往左往したり意味不明の罪に問われたりして最後は殺されてしまいますが、この作品の広大で実態のよくつめない「城」は実は『カリガリ博士』に登場する不自然に曲がった建物をイメージして読むべきではないか、カフカの頭の中のはそのような城が浮かんでいたのではないかという気がしました。その方がカフカの『城』の捉えどころのなさ(それが面白いのですが)をよく表現できるような気がするのです。
同時に、私はティムバートンの映画を連想しました。『チャーリーとチョコレート工場』の「チョコレート工場」は上に述べたようなつかみどころのない不思議な建物です。他に『シザーハンズ』のジョニーデップの雰囲気はカリガリ博士に催眠術をかけられて殺人をする自我をほとんど失ってしまった男と雰囲気がとても似ています。カリガリ博士はマッドサイエンティストとして描かれますが、多少の飛躍はあるとはいえ、『羊たちの沈黙』の源流にもなっているかも知れず、更に最後はどんでん返しで、物語の語り手が精神疾患の患者で、カリガリ博士は真面目で優秀な精神病院の院長であったというどんでん返しになるのですが、最後の最後で、語り手が、または語り手が信頼する人物が「実は…」というのはサスペンスの常道とも言えますので、その後のいろいろな映画作品に影響を与えた、いろいろな意味での源流と言える映画ではないかと思えます。
この映画では催眠術で人が完全に支配されてロボットのように動くということが起きますが、これは近代臨床心理の発達と関係があるように思いますが、人ををマインドコントロールする際には事前の情報の共有、操縦者との人間関係など様々な要素を取り入れてあたかも自然な意思の発露であかのようにして動かすというのは相当に努力が必要なことで、隔離して脅して洗脳するというのも同様にかなりの努力を要するものですが、この映画のように博士が催眠技術を使用するだけで自由自在に人を文字通り人形のように操るということは現実にはあり得ないと私には思えます。
そのようなリアリティをこの映画に求めても仕方なく、ロシアアヴァンギャルドにも通じるものを感じますし、シュールレアリスムも影響を受けたということですので、映画を学ぶ人は一度は観ておいて損はないだろうと思います。