薩摩による琉球侵攻

薩摩藩が琉球に使節を何度か送っています。1602年に仙台藩の領域に琉球船が漂着し、帰還が許されましたが、その感謝の使節を送るようにと徳川が薩摩藩経由で要求するものの、当時の折衝担当者の謝名利山はことごとく無視したことで、日本側に「琉球征伐」の口実を与えることになり、徳川家康の承認のもと、薩摩藩は兵を南下させていきます。

1609年、樺山久高を司令官とする薩摩軍は同月に奄美大島に上陸しこれを制圧。次いで徳之島、沖永良部島、その他奄美群島を順番に制圧し4月中に沖縄本島北部の今帰仁に上陸します。琉球王朝からは長年日本で仏門を学んだ僧侶の菊隠が和平交渉の使者として送られてきますが、この段階では薩摩軍は講和にのるつもり一切なかったように見受けられます。薩摩軍は那覇港が封鎖されていることを知り、陸路首里城に接近し、再び講和が話し合われ、事実上の琉球王朝の降伏という形で事態は収拾されます。

以降、薩摩藩が琉球王朝を支配し、その後、尚王家は王の代替わりの時に江戸へ謝恩使を送り、将軍の代替わりの時には慶賀使を送ることになり、事実上の朝貢とも受け取れる状態になるのですが、琉球王朝は清王朝への朝貢を続けたため、日清両属状態となり、国際法的には下関条約で日本への帰属が確認されるまでは曖昧な状態が続いたとも言えます。また、太平洋戦争が終わった後は、原則として日本が武力で手に入れた領土は放棄することがサンフランシスコ平和条約で確認されていますので、果たして沖縄は真実にはどちらに帰属するのかというのは現今にあっても曖昧と言えば曖昧なままとも言えなくもありません。

それ以上のことは個々人の信条や感情の問題になりますで、「こうでなくてはならない」という議論をすることはできないと思いますが、私個人としては琉球は主権国家としての資格を有していたと思いますので、そういう観点から議論がなされるのがいいように思います。元々琉球という王国があって、そのうえで現在、沖縄の人が日本に帰属としたいと思うか思わないか、または独立したいと思うか思わないかという議論がなされるのがいいのではないかと思えます。

私は沖縄が好きで、命の洗濯をするには沖縄の海を見るのが一番なのですが、私は日本人なので沖縄の人が日本に帰属することを選んでくれるといいなあという希望があります。個人的な希望です。

琉球王朝は幕末にもペリーの上陸があり、事実上の占領に近い目に遭わされていますので、位置的にたいへん気の毒なことだとも思います。日本の近代のキリスト教布教史はペリーと一緒にやってきた聖公会の宣教師から始まると考える人もいますので、そういう点から見ると、幕末日本よりも先に西洋のパワーの洗礼を受けた土地ということができるかも知れません。

ここ何年も年に一度は沖縄に行っています。パスポートなしであんなにいいところに行けるというのは実にありがたいです。沖縄には感謝しています。

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