乃至政彦さんの『戦国の陣形』は実におもしろいというか、素直に勉強になる、しかも読みやすい名著と思います。
「鶴翼の陣」とか「魚鱗の陣」とか、そういう陣構えの名称はよく耳にするものの、それが果たして具体的にどういうものなのかということについてはあまり知られていません。というか、私はよく知りませんでした。鶴翼の陣と聞けば、「鶴の翼のように広がっているのかなあ…」的な印象しかなく、逆に、誰か具体的に教えてくれる人がいいのだが…と他人任せな感じで思っていました。
乃至政彦さんの『戦国の陣形』ではそれについて、実際の資料を基に読みやすい文体で分かりやすく解説されています。結論だけを述べると、要するに鶴翼の陣などという名称がついていても、それは過去においては「ばーっと広がれ(通せんぼしろ、うまいけそうなら囲んじまえ)」程度のものでしかない場合が多く、魚鱗の陣についても、要するに密集する程度の陣容であったということらしいのです。
関ケ原の戦いでも、一般的には西軍が東軍を包囲する体制で、小早川秀秋の裏切りなどがなければ圧勝だったと言われており、明治時代に来日したメッケル少佐も関ケ原の戦いの陣容の地図を見て「西軍の勝ちだ」と即座に言ったということもかなり怪しく、関ケ原の戦いも少なくとも陣地の形成に限って言えば周到に考え抜かれて準備されたものというよりは、何となく両軍が集結した状態で、曖昧な感じで始まったというようなことが述べられています。
一次資料をたくさん読んだ上での著述だからかも知れないですが、私はかなり納得しました。石田三成個人に諸大名に対する命令権があったわけでなし、諸大名がそれぞれに自分の手勢をどう使うかは、それぞれの判断なので、かちっとした陣形ができると考える方が難しいかも知れません。
著者によると、日本の武士はそれぞれに馬上の武士が家来を引き連れて戦場に臨み、個人戦が多かったので、軍隊的な陣形が考究されるという伝統そのものがなかったということらしいです。それが江戸時代に入り、実際の戦闘が行われることのない平和な時代になってから、軍学が好きな人があれこれと論じたり、明治以降に陸軍大学で戦国時代の研究がされた時に、西洋式の軍隊の概念に戦国武将の戦いを当てはめようとしたために、ある種の誤解が生じてそれが現代でもゲームやドラマに応用されているとのこと。著者の見識に対して私は正直に、何の含みもなく脱帽します。