浮舟と薫と匂宮

『源氏物語』は光源氏の人生ということで一般に定着していますが、その後半部分、浮舟と薫と匂宮のことについてはさほど語られることはありません。ただ、私は与謝野晶子の現代語訳を読んだ限りでは、後半の四割近くが薫と匂宮の事が書かれており、無視するにはちょっと分量が大きい、付け足し程度と考えるわけにはいかないくらいの存在感があるように思えます。

紫式部が書いたのか、それとも別人が書いたのかについては諸説あるようですが、言語学的計量分析をして助詞の使い方の違いなどから別人説を採るということもあるようです。

私の読んだ印象としても前半の光源氏の描き方と後半の浮舟と薫と匂宮の物語とは、なにかが違うなあという印象を得ます。もし、予備知識なく別々に読めば、別人が書いたと思うかも知れません。

光源氏のストーリーの場合、物語のシークエンスはさほど重要ではありません。個別に登場してくる女性の心理や境遇を、極端に言えば一話完結風(厳密には違いますが)に描いていて、光源氏は女性を描くために必要なツールとして登場しているという感じがします。光源氏は飽くまでもツールですので、一人いればそれで良く、男性が多すぎるのはかえって面倒で想定される女性読者にとっても読みにくいという面があるのではないかという気がします。

一方で、浮舟と薫と匂宮の物語はシークエンスがしっかりしており、浮舟が登場する前の大君、中君も浮舟と薫の運命的な出会いのための前ふりとしての役割は大きく、浮舟と薫の間に匂宮がわって入り、三角関係に悩んだ浮舟は宇治川に身投げ。人々は浮舟が自ら命を絶ったものと思い込み葬儀まで済ませるが、実は浮舟は死にきれず、坊さんに助けられて暮らしていたというプロットの立て方は光源氏のそれとは大きくかけ離れています。

どちらがよりおもしろいかという問いを立てるなら断然、浮舟と薫と匂宮の物語の方がおもしろく、男女の機微だけでなく物語全体の流れを楽しめていいように思います。

さて、果たして浮舟と薫と匂宮が紫式部によって書かれたものかどうかというところに戻りますが、人間は何十年も生きていれば文章の雰囲気が変わってきます。そのため、前半と後半で作風が違うとしてもそれだけを理由に別人が書いたということはできないように思います。光源氏の物語はいわば女の情念と恨み節ですが、浮舟と薫と匂宮の物語では、浮舟を中心に薫と匂宮が右往左往し疑心暗鬼になりますが、もし、紫式部が前半で女の苦しいところを描いて、後半では男に仕返しをしてやろうと思って書いたのだとすれば、それはそれで筋が通るようにも思えます。

とはいえ、近代文学に限ったことかも知れませんが、他人に読ませて金をとれるものを書こうと思うと、作家が一回の人生で描き切れることには限界があり、生涯に一テーマだけを書き続けることしかできないというある種の経験則のようなものがあると言われています。だとすれば、かくも違った物語を同じ人間が書けるのかという疑問が呈されるのも尤もなことです。

どちらでもいいと言えばどちらでもいいことですが、考えるのを楽しむという感じでちょっと考えてみました。

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